スーパーボウル47雑感

いや、ログ見てたらnhk.or.jpから「bunzaでググった」人が来ていたらしいので、多分こっち系だと思うのであわてて更新します。

うん、だって「電子書籍で検索」っぽいとは思えないでしょ、「bunzaでググった」って事は。絶対誰かアメフト関係者が「あそこに勘違いして書いてるおバカさんいるから、反面教師として見たらおもしいろよ」とか言ったに違いないのよ。うん、多分そうだ、そうにちがいない(元がネガティブなだけなんですげと)。

それはさておき。

やっぱ停電ですよねー。生沢さんがしゃべりかけたら突然音声飛ぶは、しばらくしたら照明落ち始めるは、しばらく何が起きたか判らなかったけど「あ、停電だ」。
実家で見てたんだけど、49ersファンの父が会社時代の仲間と麻雀が入ってハーフタイムで外出、母は近所の葬式で停電中に外出。
で、停電空けから流れが変わったという……うちの両親が原因ですか?

ってか、多分後半から49ersの守備が機能し始めたんだと思うのですわ。
そこで守備時間が短くなった事で攻撃がリズミカルになって来たんじゃないかな。(まだ録画で検証してませんけど)

後半、停電空けパント後の49ersは、相手キープレーヤーをレイ・ルイスにして、そこを徹底カバーして潰していたように思えますが。確かにリードオプションはサッグスをキーに展開していたけど、ブロッキングアサイン的にルイスを遅らせる事が一番な作りだったように思うです。
だから逆に中途半端な距離になった4QのFG狙いの所とか、ナータ不在で中央緩くなった所でもあったのに、ルイスの差ポートが入った事でパス狙いになった、んじゃないかな?

それにしても、最後のレイブンズ「蹴らないで時間使ってセイフティ」ってのは見事。ってか、カバーチームはそれを予測してなかったのかね。時間かけずにセイフティ取るという選択はなかったのかな。
※セイフティだと20ヤードからのフリーキックなので、あのボールオンから蹴るより、24ヤードほど前で、ノープレッシャーで蹴れます。あの位置からパント蹴ると多分レイブンズ陣45ヤードから残り数秒だったんじゃないかな。

まあ、停電の有無は別として、後半はムッチャクチャ面白い試合でした。

ハーフタイムのビヨンセは……センターで渡辺直美が踊っていたら最高だったんだけどなあ。どおってことないや。英語わかんないし(MTV製作時代の方が、アーティストの迫力が出ていたような気がする)

 

ちなみに。ここを見に来る不思議なアカウントさんとしてはsoumu.go.jpさんとかsagamino.jp.ibm.comさんとかsharp.co.jpさんとか、全く身に覚えのないドメインがあるんですよね。まあ、それがどうしたの世界ですけど。

最近思ったこと(2)体罰

はい、体罰は悪です。但し、それは「分別つく、理性ある者に対して」ならです。
従って、「絶対悪」ではありません。

体罰による指導矯正は、心理学的には「行動心理学」の中の「反射」、つまり生物学的に言う「条件反射」、一般に言う「パブロフの犬」です。

つまりね。「理屈が通じない程度の相手に、恐怖という反射で行動を抑制する」事であって、ぶっちゃけ「度が過ぎない」範囲で体罰は有効な教育手段となりうるのです……但し、使い方を間違えたなら、加害側のストレス発散でしかなくなっちゃう訳ですね。

従って、必要な範囲での体罰は容認されてしかるべきです。何でもかんでも体罰を認めない、というのは、はっきり言って「育児放棄」と同列です。
もうちょっと言うと「体罰」と「暴力」は全く別次元のものであって、その境界をあいまいなままに「教育における暴力」=「体罰」という現状において、「体罰」は絶対悪でしかありません。

正直に言ってしまうならば、体罰の対象は、小学校中学年までですよ。

だからと言って過度の体罰は単なる暴力です。
間違えてはいけないのは、「自分の言うことが出来ないから暴力」というのは体罰では無く、暴力です。
体罰とは、「理を持って説明し、正しく行うことを指導したにもかかわらず、真逆のこと犯した罪に対するペナルティ」です。
加減を知らずにやることではありません。

従って、「俺様帝国」の絶対性を維持する為だけの暴力は、体罰ですらありません。自分の説明指導能力の低さを誤魔化す悪行です。
但し、「誰もが納得する理を持って説明し、正しく行うことを指導した」にも関わらず、犯罪・反社会的行為を行ったならば、それは多少異なるでしょう。
「誰もが納得する理を持って説明し、正しく行うことを指導した」にも関わらず、それをしなかっただけなら、その人の評価が落ちるのは正当ですので、その人はフェイドアウトするのみです。それは親がねじこめないくらいの正当性だから。

でね。今回ハシシタさんがやった事は、体罰と同じ「俺に従え」アピールなので、あれは失格っつうか、独裁者だね。裸の王様。
正しく行うべき「指導者を雇う金を学校予算の中に入れる」事、「指導者の評価基準を明確にし、適正でないものは1校あたりの一定期間以上の継続雇用を認めない」こと、ですよ。いつまで教員に指導させるんだって事の方が大切な話。
体育科の存廃は、それらの仕組みが出来てからの話でしょうに。
なんだかねえ、あの人に政権政党さらせるわけにはいかないよね、という気がますますしてきたわ。

あくまで体罰の話と体育科の話は全く別問題です。それを一緒くたにしてしまのは、如何なもんでしょう?

最近思ったこと(1)嫌煙権

とあるところで、嫌煙権至上主義者が「禁煙しないこと」についてなんか書いておられたので(多分その方、およびその場をご覧になっている方はここをご覧になってないと思いますし、私がそこを見ていることをご存じないと思います)。

正直に申し上げてしまうと、「嫌煙権至上主義者」というより「煙草害悪論絶対主義者」という気がして、そういう人に対して嫌悪感を抱くのでございまして。
※ついでに言うと、発言小町に多数生息する「法律でなってないから、夫の親は自分の親ではない嫁」にも嫌悪があります。あと、「運動不足だから運動しなさい。運動すればストレスも解放される」と通り一遍の事しか言えないアホ産業医にもね。

そもそも「権利」とは何か。
これは難しい議論なんですけど、一派感論としていうと
「所属する社会環境において、その環境維持における義務を果たしたことによって自らの利益を守ることを主張しうる資格、および行動」
だと考えられます……法律論的には。従って、準拠しうるものは「所属する社会環境」の中のことです。
従って、それを国家社会や行政区分において示すと、絶対守らねばならないのは「法律」であり「規則」な訳です。
ちなみに、これは明文化されたもの、とは限らない訳で、そこが問題。
そこを見ないふりして偉そうに語るのがアメリカかぶれ、という事。

アメリカンのような他民族移民国家の場合、その入植地ごとに元々の風習があるから、そこの風習について明文化していおかないと「問題解決」が出来ないので、各地域毎の決めこどを明文化している訳です。これが行政区単位で積み上がって、国益を守るべく「合衆国の法律」があり、下位概念して「州の法律」が存在する訳です。
マイノリティの権利は相当遅れて合衆国法側から降りてきた。いわゆる農奴に関する権利は、南北戦争時の政治的傾向である。先住民の保護は「希少動物扱い」である。まっとう正面から権利を語った事例なんてありはしないのですよ。
なので、いまだにマイノリティ差別が続いてるのは、それが「文化」という不文律でかたどられた「所属する社会環境」が立ち位置だから、なのです。
従って、このような社会学的側面から見た場合、「権利」=「説明不能なまでに社会に浸透した不文律に対して、屁理屈と言われようとも理詰めで説得して変化を起こさせる物」となる訳です。

で、嫌煙権。実は禁煙は日本に葉煙草喫煙文化が入ってきた(確か南蛮貿易が契機だから)室町時代末期から、特段厳しい制限が課せられていた訳ではない(し、取り締まりが出来た訳ではない)。法律上未成年の喫煙が禁止されたのは明治33年だそうだけど、年齢の記載は昭和22年だそうだ。ちなみに戦前の小説を読むと、明らかに高等小学校程度の年齢の未就労者(いわゆる不良少年)が煙草を吸うことをとがめる描写はないんですよね。
このような事から考えて「喫煙」は文化なんですよ。

だから、嫌煙権は文化に対して理屈で楔を打つ行為です。それ自体に何の問題もありません……その適応範囲が「自分とか自分の家族」に関わる範囲であれば、という話です。
つまり「私は、私の家族は、受動喫煙をしたくありません」という権利はあるんです、それは人間らしく生きる権利として、ね。
でもそれを「健康に悪い喫煙は誰彼なく辞めるべきである」とか「子供たちが見てあこがれてしまったら」とか、そういう妙な理屈で社会正義に仕立て上げて正義の行使のように言うのは、私は反対ですね。
(反対するのも権利ですから)

ぶっちゃけ、嫌煙権とは「私が嫌」という権利に過ぎないのですよ。社会正義を名乗る資格なんてないんです。単なるエゴ。煙草吸う人と大差ない、きわめてちっちゃなエゴイズムの一つに過ぎないんです。但し、「健康に生活する権利」と「嫌な物を拒絶する権利」において、要求することは正当な資格に基づいている範囲の、エゴです。
エゴ、と言われてムッとする人もいるでしょうが、ここでは「自己主張」と言い換えてもいいですよ。エゴとエゴのぶつかり合いを調整するのが「約束事」なんであって。そんなものは時代と共に変容するもんです。

ですので、「自分の子供に煙草を吸っている人の姿を見せたくない」という権利はあったとしても「他人の子供が喫煙する姿を見て煙草を吸うきっかけになるかも知れないから、喫煙は廃止すべきだ」という権利は世の中に存在し得ない。なぜならば、その子供が煙草を吸うかすわないかは、その子供の家庭の教育指針です。抑止できない事はその家庭の脇が甘いだけの話、嫌煙権主張者の利益には全く関与しないですよね? 従ってそんな権利は嫌煙権の範囲ではないのです。

煙草というものを廃止させたかったら、政治家になって法律を変えれば良いだけです。いや、だけではない。煙草を廃止するということは、国内にいる葉煙草生産農家に「死ね、のたれ死ね」と言うことですから、彼らが「葉煙草作ることにメリットがない。自分たちの生活を守るために割のいい仕事がある」という方向に舵を切らせる努力もしっかりして転作対策をしっかりして、また昔の専売制度の名残で残っている町のたばこ屋さんも転業促進して、という大局的に追い詰める事が出来て初めて廃止できるんじゃないですか?

よくアメリカのスポーツでは煙草は絶対吸わない、という意見を聞きますけど、逆に大麻やマリファナで検挙されて保釈金ですぐ出てくる奴多いですよね?(ついでに言うと、追放された後の事は報道されてないだけですよね)。飲酒に寛容な文化でありながら、飲酒事故多発してますよね? そういう比較の点で、本当に禁煙行為だけが正義なんですかね。私は疑問です。

とはいえ、個人的に「嫌煙権」を行使する方を否定している訳ではありません。かつて喫煙者だった私としては、彼らに不快な思いをさせた事について、ちっとは反省してますし、彼らが「嫌っ」ていうなら、彼らの権利を守る義務が喫煙者にはあると思いますよ。
そもそも喫煙者の低いモラル(喫煙所で無いところで平気で煙草吸ってポイ捨て、とか。そうやって自分の首絞めてる訳だからね)が嫌ですから。

ただ、「喫煙権は正義!」とか抜かすんだったら、それは「ふざけんな」と言うだけです。

正義なんて相対的なもんなんだから。

※国家的に健康に言及するのは、「納税義務を果たせる人間を多く確保する為」という経済学的な意見があります。ただ粋すぎた結果が「老人介護にそれ以上に金を出す」ということになっている事も事実ですが。あ、いえ「長生きして欲しい」と願う権利は阻害いたしませんよ。ただ、学問統計的な話ですからね、これは。

言うねえ、鳥内さん

Touchdown誌最新号を読んで思ったのがこれ。

ってか、FirstDownで試合の詳細戦術解説しちゃったのを受けて、本誌の内容がないよう……になりつつあるなあ。

そんな中での鳥内さんのインタビュー、「学生チームがここまでできるのだから、社会人チームはもっとできるはず。がんばりが足らなかったのではないか」という発言がちと気になりました。

いえね。ぶっちゃけ、「ラスト1試合」と「次がある試合」では全く違うのですよ。
はっきり言って「ラスト1試合」である関学は、「自分が怪我してもいいプレー」というより「相手が怪我してもかまわない」プレーになっても仕方が無い環境でプレーした訳です。
乱暴なことを言えば、「来年梅雨頃までに自分の怪我は治ればいいや」の下級生と、「これを過ぎたらプレーしないかも」の4回生がやるプレーと、「試合翌日に仕事がある」社会人とでは、やはり「心のブレーキ」が違うと思うのですよ。

ましてや「オービックだけじゃない」環境、少なくとも社会人は3-3-4-4-4(2013年度の場合上からオービック・鹿島・パナ-富士通・ライズ・飲料-IBM・シルバー・アズワン・オール三菱-東京ガス・ユニシス・ファイニーズ・パイレーツ-ハリケーンズ・警視庁・サイクロンズ・ブルーインズ)の階層化がなされる訳で、「ラスト1試合」以外で現行2ステージ制の中で対戦しても、そりゃどこか「心でサイドブレーキ引いた状態」になりますって。

だから、オービックに勝ったとしても、その後がなくなる可能性は高い訳ですよ。そこで無理したら、自分の人生棒に振る訳でしょ。

それとこれをいっしょくたにするのは、どうかなあ。

それに、JXB見て、本当にそう思うのかなあ。あの壮絶な試合を見て。

そんな風に感じました。

ちょっと静かにしてますが

生存証明についてはFacebookにて行っていますので、こっちがわりかし静かになりました。

いちおー、電子書籍は途中で方向転換して、現在『銀河英雄伝説』をやってます。
Kindle対応の細かいところで気づかなかった所とか入りましたので、近々そのへん含めてメモを新しくしたいなと。

あと、引きこもっていても仕方ないので、現在再就職支援会社の共有スペースに定時出勤することにしています。

というわけで、無事これ幸い。

「青空文庫がアブない」とかいう発言についての個人的見解

なんかの弾みで見たので、元記事がどこにあるかも判らないままなのですが。

この元発言をされている方は「無名の、どこのだれか判らないの人間がテキスト起こしした事で、送り仮名やルビが崩れるのが許せん。このようなものはしかるべき人の手によって正しく書き起こされたものであるべきだ」と言いたかったようなんですが。
なんか、言いたいことも整理できてないまま揚げ足取りで終わってますって感じ。
ついでに言い方も稚拙ですわ。

そもそも送り仮名は作者振らないしねえ、殆どの場合(確かゲラ以降の話になるので、編集と校訂の仕事に著者が同意したって話だ)。さらに著者原稿がそのまま通らなかった場合(編集による手直し指示を示す)、元原稿と改訂原稿とどちらが正しいか、なんて判るはずも無いわけですよ。
それを厳密にやるのは研究者の仕事ですよ。ええ、そこまでは判らなくもない。

じゃあ、世の中に出ているすべての書籍が、そのような厳密な監修の元で正しく出ているか、というとそんなことは無いわけで。
逆に平井和正が『狼男だよ』で元版会社と大げんかして干され、その後も角川書店や徳間書店と一時期良好な関係を持ちながら改竄騒ぎと称して大げんかして袂を分かったりするのはどうなんでしょう。
いや、もっと言うと堀晃『太陽風交点』文庫化問題においては、著者改訂版と元版写植版のどっちも編集のチェック通ったものなので、元発言の言う「しかるべき人」って誰になるのさ、という問題だって浮かび上がる訳で。
いやいや、角川文庫の横溝正史作品の章立ての変更問題なんてもっとひどいことだよね。

だからこの人は発言を間違えているのですよ。

くほださんなら、こういいます。

青空文庫は「ゾッキ本」だから、まともに研究に使いたい、あるいは本来の著者の意向に沿ったものとしては、青空文庫以外のしかるべきテキストを用いるべきだ。
現行の「著作権失効した作品に対する電子書籍」の選択肢が青空文庫一択というのは、如何な物か。しかるべきテキストに対して、今後の研究・改版の為の基金の積み立ての意味を込めて、有料のテキストが提供されてもしかるべきではないだろうか。

確かに著作権失効した以上、金銭的な原価は下がってしかるべきですけど、ある程度研究したり徹底した校訂・異同調査をしたりするなら、そこは対価が発生してもいいと思うんですよ。
著作権がなくなった事と、編集・確認することの手間は別だからね。

だから、青空文庫が駄目とか、青空文庫はいかんとか言う話では無くて、あくまで「ゾッキ本」、小栗虫太郎における高志書房版、古典探偵小説における桃源社大ロマンの復活版、手軽に入手できるものであっても、その程度の物、という事だと思います。

例えば岩波書店が『夏目漱石全集』を今年改版した歳に電子書籍化したとして、それを青空文庫があるので同額の0円で売る、というのは間違いだと思う、と考えるわけです。だって、こういう校訂・異同確認って、凄い時間も精神力も消耗するから、その為の対価を編者が得てもいいんじゃないですか?
また、この場合の取り決めとして、最新版が出てから5年(だいたい品切れ判定されてから2年)は、その版をベースにしてのテキスト化はしない、などの取り決めが必要だと思うのです(しかも、出切れは品切れになったことが前提で)。

青空文庫を否定してはいませんよ。ただ、出版社「青空文庫」と、他の出版社による差別化があってもいいじゃないか、その為の価格差が存在してもいいじゃないか、という事です。

駅弁大会に思う妙なこと

ちょっとしばらく、新宿に通うことにしました(一二月に引きこもっていた為に生活状況がグタグダになったまで、まずそこから直そうと思いましてね。)

で、10日から通い始めて、京王百貨店の所で行列出来てて、それで「ああ、駅弁大会か」と気づきました。
その晩の帰りに寄り道初めて、今日の昼間もちょっと顔を出したんですよね。

まず、駅弁って、「長時間列車で移動するとき、昼食や夕食を車内で取るもの」で、「冷たくなったものを熱いお茶で誤魔化して食べるもの」だというものと割り切ってますので、正直「海鮮丼風」みたいなのって、そもそも駅弁じゃない訳で。
冬場のガンガンのヒーター効いた車内で1時間は放置されても傷まないのが原則だから、生もの入れるのへんだし。

さらには(買ったんですけど)「横手やきそば弁当」に至っては電子レンジ推奨! それって車販カフェテリア用だろうが、駅弁じゃないやい……。まだ「ひも引っ張って暖かくする奴」の方がましだ。
さらに「ワンピース駅弁」とか、目も当てられないよ。

まあ、そこはいい。
ただ嫌なのは「駅弁大会を販促にしたいがために、特別なもの・新作をそこに持ち込んで媚びを売る」のは、なんかもう、筋違いというか。ってか、それって本末転倒!?

もっと嫌なのは、行列して買っている人の、一体何人が「じゃあ、そっちに旅行に行こう。行った時列車で行こう。列車に乗ったときはこの駅弁を買おう」と思っているか、だよね。
稚内とか根室とか、絶対列車で行きそうにないじゃん、こういう人たち。
そーゆー所に、今は違和感を感じます。
それこそまだ、町の商店がこぞって取り組む「B級グルメ」の方が健全な気がします。

とはいえ、単に「うまい弁当実演販売」と割り切ってしまえば、しばらくは夕食の食卓は華やかですな(汗)

新年のご挨拶のそのほか

ははは、姉家族が来るまでどころか、翌日のお買い物運転手まで仰せつかってしまいまして、実家から身動きが全くとれませんです。

一応、ライス観戦記は5日夜に持ち越し(というのも、どーしても確認したいカバーとかがあるので)としますがご容赦のほど。

今年の目標は、ええ、もうそりゃ「再就職」それ一本です。

というわけで、今年もいろいろご迷惑をおかけいたしますが、どうかよろしくお願いします。

1/3 Rice Bowl 東京ドーム第一試合

  1Q 2Q 3Q 4Q Total
関西学院大学ファイターズ KG

0

7

0

8

15

オービック・シーガルズ OS

7

0

7

7

21

Q TEAM TIME  PLAY  TFP

1

OS

6:39

 #20古谷 1Yard Run   #1金親Kick

2

KG

14:41

 #28鷺野→#43望月3YardPass   #27堀本Kick

3

OS

2:02

 #6菅原→#18木下 20Yard Pass   #1金親Kick

3

OS

7:53

 #1金親 45Yard FG×    

3

KG

13:07

 #27堀本 37Yard FG ×    

4

KG

12:00

 #43望月1Yard Run   #18畑→#43望月→#87小山Pass

4

OS

14:50

 #20古谷1Yard Run   #1金親Kick

MVP ポール・ラッシュ杯 オービック・シーガルズ#6菅原俊(史上最多受賞)

まず試合開始一時間前にドームについて、びっくりした事が2点。
1.バルコニー席が完売していた事。例年社会人側は余裕があるのだけれど。
2.一時間前に入って、3塁側の見やすいいい場所は全滅だったこと。一昨年ですら入れたのに、である。
やむを得ず、ほぼバックネット裏で観戦することに。ちなみにドーム内の映像は、民放制作の画像(つまり三塁側からの撮影画像)でした。

個人的にはホームフィールドが一塁側である以上、前年勝者サイドを一塁側にすべきだと思うのですがね。ユニフォームの色ではなく。

試合開始10分前になって2階席解放。一塁側はもの凄い勢いで埋まり出すが、それでも観客動員は2万7千。立命や関大の時は3万5千なので、それを考えると、去年もこぼしたけれど、現状の学校の意気込みの差が出てるような気がする。
つまり、「ライス出るぞっ」って言った時の、OBの意気込みとか、現役学生内におけるブランド力とか(よし、それならドームまでいてこましたるかっ、的なノリの話で)、なんだかそういう所に勢いが、ちょっと足りないかなという印象。
確かにシーガルズがクラブチームだから、企業チームほどチケットで人を呼べない、という意見はあるとは思うけれど、立命-オービックの時の人数に対して説明つかないし。見ていて3塁側はほぼ毎年同じようなレベルだし。
……もしかして、朝日新聞系の招待券が少なくなったのかな?

でも、近くで見ていたギャルッぽいおねーさん(オービックの守備の選手のご家族と幼なじみ、なのかな?その選手のご両親と思われる方もいた)二人が終盤抱き合って「やったやった!」と叫び、「アメフト面白いね~」と言い、その他にもかえる人波のそここから「いや、アメフト面白いわ。今度リーグ戦見てみたい」という声が出ておりましたので、この試合が凄い試合(すみませんが「いい試合」とは申しません。理由は観戦記で)であった事が判ると思います。

でね。今年から地上派消えたわけですよ。正直に申し上げてBS波放送とかCS波放送って、「自分たちが見たいと思った人が見に行く」所であって、ザッピングの対象ではないわけです。世帯普及率6割と申されましても、集合住宅の共同加入とかケーブルテレのセット加入含めての話であって、実際はダラ見ザッピング出来ない環境なので、「フットボールをしっかり見る」人たちにとってはいい事ではあっても、普及という面から行くと一歩後退だな、と思います。

あと普及という面で言うとですが、厳しいことを言うと「学生が勝ってこその普及」という人がいるのに呆然。だって、社会人に勝つ学生、という団体競技がどれだけあると思う? それはすなわちピークが学生である競技で、その競技に未来はないって事を知らしめる事じゃないですか。ぶっちゃけ学生が勝つと、「へー、マイナー競技の象徴みたいなもんだ」と言われるし、やはりそれは競技として成熟した文化になっていないと指摘されてしまう訳ですよ。(10年くらい前に当時の川渕三郎JFA会長が「京大が日本一を取るという事はおかしいと思う」みたいな事を言って物議を醸したけれど、その意図は競技として成熟していないという事だった、と記憶している。違ったとしても、世間の目は、そういう目であるという証拠になるのだけれど)。
だからぶっちゃけ、社会人は勝ち続けなくては成らないのです。接戦であっても、奇跡であってもいいから、競技の成熟のためには常に代表が入れ替わったとしても(というか、ある程度の変動が無くてはならないのだが)、社会人チームは勝たなくてはならないだと思います。

※6日深夜というより7日明け方になりましたが、書き終えました。

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今年の買い初め

新年の挨拶はライスボウル見た後で。

今年については、色々去年末からのストレスがあった事も考慮して、年始に何か買い物したいなー、と思っていたのですが、まあ物欲も枯れている所があって、色々欲しい物がない状態だったわけです。

唯一、現在使っているThink Pad X61の馬力不足が不満なくらいで……(普通の処理なら文句は言わないのですが、今年はDivxの再生が不安定過ぎるのが嫌)。

で、本日1/2に色々廻ってみました。
が、どこもかしこもWindows8一色。という事はお値段がやや高め。去年の夏モデルが型落ち価格で出ていると思ったんですけど、そーゆー訳でもなさそーで、殆どおいしめのノートが無い。
ぶっちゃけノ15.6ワイドだと大きいし、11ワイドだとちょっと小さいしで、迷っているうちに新宿とか池袋とか見て収穫なし。
で、PC DEPOTに行ったら、ちょうど価格的にもいいのがあったんで逡巡。

今回はバッテリーの持ちを一番に考えて、価格的な物と整合性を取ることにした物だから、まあモノがない。
※ちなみに公称時間×0.8が実質稼働時間と考えています。
その為、6時間以上を前提にして探していたら、これが引っかかりました。

Acer M5-481T-H54Q

実はこの唯一の欠点はSSDである事。SSDという事は寿命問題があるのと価格と容量がトレードオフになる事。それであったとしても、外付けHDDで対処すればいいし。
なにより価格が49,800円という事。
しばし逡巡してから、購入。
Officeなしという事だけど、まあそこは再就職祝いでいいよね、と。

で、買って帰って来て失敗に気づいた。
OCRソフトのライセンスキー、紛失した(笑)
それだけ買い直しですわ。