いろいろ修正しました

見えるところで、右サイドバーを修正しています。
・直近投稿タイトル(今は10件ですが、場合によっては20件にするかも)
・カテゴリ別表示のショートカット 見えないところではこんな事してます
・投稿フォームを別ファイルにすることでメンテナンス性を向上
 (今までこういう書き方出来なかった-頭が回らないので-)
・表示機能部分も別ファイルにする事で、ソースコードを整理した
・アメフト観戦時の試合結果を簡単にポストできるようにした

で、残った課題が以下の通り
・コメント機能(含む投稿時のメール連絡)
・トラックバック機能(含む投稿時のメール連絡)
・タイトルなど可変可能な項目のDB管理
・一部機能のJavascript化(ツールバーにあまりパラメータを見せないで処理したいので)
・レイアウトやトップイラストなどの、テンプレート機能

さて、左サイドバーは何にしようかな。見てみると、結構片方サイドバーのところが多いので、後日そういう修正するかも知れません

我、惑わず。否、諦めし

族に「40にして惑わず」という事から40歳を「不惑」と言う。
しかし実際は「40となりてにっちもさっちも行かず、ただ諦めている」だけではないだろうか。
起こりうる事態をただ唯々諾々と受容するしか、道はないのである。そういう生き方してきた以上、最早戻ることなど出来ないのである。
ひたすらに、ただひたすらに今のまま惰性であと20年会社に勤める他ないのだ。

……本日、40歳の誕生日を迎えました。

我ながら、後ろ向き引きこもり人生、です。

オリンピックに関するあれこれ(2)

あまりにひどい論調の記事を見たので、日本惨敗の女子マラソンについて取り上げたい。

基本、今回の野口・土佐についてはコーチ陣の責任である。土佐の外反母趾は現地入りしてからの不幸だが、これとてシューズメーカーの責任といってもいいだろう。
しかし、それらはコーチングスタッフ側の責任が大である。

そのひどい論調の記事は「個人商店体制だから」というのである。
そもそも、過去五輪で敗北したとき、理想としてマスコミが掲げた「アメリカ」はどうだったか。アメリカはもっと個人商店である。育成機関は学校だが、学校を卒業したら全員プロとして稼ぐ。従ってコーチもプロとして評価される。
今回のように、特に野口の調整ミスをしたコーチは解雇される。理由が調整ミスだから、トップアスリートは雇わない。つまり生活は維持できない。
その為コーチは必死になって怪我のない調整をさせる。その上で最強の肉体になるように、だ。
ただし例外は旦那がコーチという場合。この場合、コーチと選手は一蓮托生になる

問題は、個人商店になりきれない日本の村社会体質である。
どういう事かと言えば、個人競技である以上、他者を思いやる義理はないという事だ。野口を軸に土佐が中村をフォローできる、なんてシナリオ自体がおかしい。それは指導者の勝手な妄想であって、通常選手はその選手の為に試合をする。試合中の選手が、試合に対するレース展開を自分の為に計算する。それが本来の姿ではないか。

国家が統制してアスリートを育て上げるのは共産主義国家や環境の劣悪な国家だから出来る話である。それとて、現在は数少ないではないか。
このような事実を無視し、都合良く上層団体批判だけしていれば良いのではない。馬鹿にするにもほどがある。

(以下、特定の媒体に対する個人的嫌悪感を記述します。おいやな方は見ないでください)

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オリンピックに関するあれこれ(1)

まあ、期待通りの人もいれば期待はずれの人もいる。そこはそれでいいのですが。
今回一番問題と言えるのが2点並列で存在していますな。

一つは「柔道が何故ああなったのか」

もう一つは「サッカーはあれで良いのか」

でしょう。

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帰って来ました

本日帰って参りました。
田舎は涼しかったです。いや、風が乾いていて心地よかったのですが、暑かったのは事実のようです。

でも、気持ちよいですわね。

祖母の新盆の宴を催したとき、やっぱり言われたですね「嫁もらえ」と。

うっせえっつうんです。嫁もらって子供出来たとしても、いつ娘に刺されるか、息子がバスジャックするか知れた物ではないですわ。だったら、それこそ独身の方が気が楽ですよ。

まあ、この世の中です。言ってきたおばさま達も「まあ、うちも30過ぎの娘が・・・」などと言うので、身の危険を感じて逃げましたけどね。

オリンピックに関しては、また後でぽつぽつと書きたいことがあるので、後日に。

サーバ停止のお知らせ

先日落雷による瞬停電が発生したようなのですが、この際に無停電電源が故障した模様です。
ちょうど13日から祖母の新盆で出かけるため、このへんの交換などを含め

8/12夜より、8/18頃(最短で16日深夜、一番遅くて18日深夜)までサーバを停止する事にします

ご容赦ください。

恐ろしやガソリン代

いやー、すさまじい価格ですよガソリン代。
何なんですかその「レギュラー180円」っつうのは。

基本、先物取引という奴が「本当に必要とされている市場規模」とはかけ離れた憶測でつり上げている訳で。
それがどこに端を発しているかというとアメリカ国内産原油の高値が響いた事で。

バイオ燃料だって馬鹿丸出しの狂乱相場。アメリカの場合は電力需要に対応した原子力エネルギーの不在が原因で(スリーマイル島の事故で凍結した)、アラバマの砂漠のど真ん中にでも大量に作れば、何とかなりそうな気もするのだけれど。

ドイツのように近距離用電気自動車と充電設備(太陽光発電による充電スタンド)の提唱とか、そういう方向に向かわないと駄目でしょう。駅前駐車場は電気自動車とタクシーとバスしか乗り入れ禁止、とかして。

ヲタクとマニアとファンとクレイジーと、そしてそれ以外

現在用いられている「おたく」という言葉は差別用法であると思っている。

「おたく」という用法を最初に世に知らしめたのは、中森明夫ではある。
けれど、その原点となった部分は、どうも中森明夫自身が明確に示していないようなのだけれど、私は大学の先輩(その人はコミケでも古株スタッフだった人)に聞いた話では以下の通りだ。
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その昔、SF大会(注1)で星雲賞(注2)に吾妻ひでおが選ばれた(恐らく『どーでもいんーなすぺーす』だと思われる)頃、SF大会会場に場違いな吾妻ひでおファンが大量に流入した。ところが周囲はガチガチのSFファンばかり。
そこで、困った連中が似たような奴らを見つけて「おたくも、吾妻ひでおファン?」と確認しあっていた事から、コアなファンが見下して「オタク族」として用いるようになった。

注1:SFのファンを中心にして年1回開催される、年1回の有志によるイベント。だいたいにおいて創作す。
る側もSFファンである事から、コアでディープな古株から入り口に入り立ての若者まで幅広く集う。ちなみにこれはアメリカのSF大会を移植した物。
注2:星雲賞とは、SF大会で投票されて決まる、ファン今年の一押し作品。ちなみに組織票をやろうにも、コアでディープな人たちが予選を勝ち抜いた作品に対して投票するのだから、自浄されてしまうのである。ある時期まで明確な部門分けがされていなかった。その時期に漫画で星雲賞を取っている吾妻ひでおが凄い訳だが、ゆうきまさみが受賞した時には「漫画・メディア部門」として独立していた-と記憶しているが間違っていたらごめんなさい。
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上記のように、そもそも異分子をはじき出すための言葉として生まれたとしたら、中森明夫がその意味を込めて発言している事にズレはない(が、ポップカルチャー/サブカルチャーの異分子が番外地を嗤うという意味で、目糞鼻糞を笑うようなものである)。

でも不思議なことに、鉄道の場合で行くと鉄道オタクと鉄道マニアは別次元になる。鉄道マニアには「鉄道友の会」という巨大なコミュニティが存在するのに、鉄道オタクはそのコミュニティの欄外活動だ。
そういう意味で漫画も、作家公式ファンクラブが肥大化した場合に、オタクはその欄外で、コミュニティ同士の関係を無視して横断的に渡り歩く。

そう、コミュニティに入ると彼らの知識は特異な物ではなくなってしまうのだ。つまり彼らはコミュニティに入る事によって、自分のアイデンティティを喪失してしまう訳だ。
そのため、オタクコミュニティというのは実はコミュニティと呼べるほど強固な物ではなく、刹那的なものの連続に過ぎない。

正直、キャラ作ってる連中の殆どはオタクですらない。なぜなら、彼らは何らかの拍子で現世に戻る事が出来るからで、一般大衆というコミュニティがに溶け込んでしまう事が出来る。
ファンやマニアは違う。彼らはその独自のコミュニティと類似している事でアイデンティティを保っている。彼らには仁義があり、その仁義は社会通念の中で受容される範囲である。
クレイジーになると、そのコミュニティから自力で突出してしまう。モラルは社会通念とは大きく異なる場合もあるが、それは彼らの収集欲や独占欲の前では正当化されてしまう。
オタクはクレイジーにあこがれる。しかしそこにはコミュニティを突き破るどん欲さよりも、ひたすらに幼稚な模倣でしかない。当然そこで社会通念が壁として立ちはだかる訳なのだが。

社会通念を無視した行為(鉄道で挙げれば備品盗難など)は、単にその人間の衝動抑制機能の欠落でしかない。万引きを楽しむ馬鹿と一緒の事であって、それとオタクが関係するとは到底思えない。
エロゲやり過ぎたからってそれを制限しても、同様の事から他の側面に走るだけである。
そんなのオタクであろうとなかろうと、関係ない訳で。
心理学の世界の問題なだけで。

ちょっと話がそれた。
そもそもオタクとして定義されるべきは「そのジャンルにおいて、決してメインストリームに出る事のない、知識は多くても実践が伴わない、そしてコミュニティを積極形成しない、多極点集中型の自己顕示欲を瞬間的に共有する事だけを良しとする存在」だと思う。

そして、そういう人を「異常である」と指さすことで、自分の中にある側面を否定して自らを安心させようとする、不特定多数による自己正当化によって、彼らはさらに閉鎖社会に落ちていく。

ぶっちゃけ「グッチおたく」って言わないよね。「CanCanオタク」って言わないよね。「ネイルおたく」って言わないよね。
私から見ればブランドおたくにファッション誌オタクが渋谷や六本木を闊歩している訳で、彼らは単に高級志向とマスメディアによる牽引を正当性の理由にしているだけ。

だから、正直言って今回の犯人はオタクではない。そういうネタが上がっていない。
私から言わせれば、一般大衆その他大勢の方が、世の中の堕落した姿に他ならない。
刹那の連続なんて、空虚すぎる。いびつでも、何か一つ自分に対して筋の通った姿の方がすてきだと思うけどね。
本当に、そう思う。

おかしいぞ、ホコ天規制の話

昨日の事件について。
今日の報道で明らかに恣意的なものがあったので、はっきり言っておきたいな。

一番おかしいのは今回の事件を受けての歩行者天国の存否が問われている件。
なんで?
正直、今回の事件ではない理由で存否が問われているなら文句は言わない。治安や道徳の問題だからね。
万世橋から末広町までの所は、左右にショップがあるから、自由に左右に行きたいと思うので、歩行者天国というのはありがたいのである。(また、信号無視する輩も少なからず居るので、交通安全のためにも必要だと思う)
しかし今回の事件が、今後多発するということが予想できるだろうか? 答えはNOだ。
歩行者天国を無くせば、街の導線は破綻する。つまり現状秋葉原の経済導線を自ら閉ざすことで地盤沈下を加速させるだけではないだろうか。

別に犯人はどこでも良かった。誰でもいいと言ってる以上、渋谷ハチ公前でも良かった訳だ。
じゃあ何故秋葉原か? 東浩紀がいい事を言っていたが、今マスコミが一番もてはやしているのがアキバだったたというだけ(つまりポップカルチャー/サブカルチャーの発信源)で、70~80年代には渋谷や原宿がそうだった訳だ。

たまたま秋葉原という「一般には得体の知れないサブカルチャーの猥雑に入り交じった街」で事件が起きたからって、大騒ぎする事ではない。既に今年は駅前繁華街での狂乱事件は起きている(荒川沖駅前事件)。
秋葉原が規制されるなら荒川沖も規制されなくてはならない。
何を? 同列に規制されるものなんて何もないじゃないか。

僕らは得体の知れない物(=自分が理解できない衝動的な行動を取っているように見える人)を見ると、必ず怪物として忌み嫌う。結果、東浩紀が指摘したように「規制強化では解決しない。そういう人を生み出さないように、受容する社会作りが必要」(記憶なので間違っていたらごめんなさい)という、本当の再発防止が求められているという事なのである。

明らかに、民放の報道は「アキバという場所」を異物として捉えていて、異物を排除する前提で取り上げている。別にアキバが無くなったからと言って困ることはないけれど、同じような場所が東京のどこかに現れるだけで、その片棒を平気で担いで勝手に叩き落とすような、「不特定多数がイメージしている大人という虚像」にすりよる報道のありかたそのものに、嫌悪感を感じてならない。

明日は「オタク」について個人的な考え方を言ってみたいです。

恐ろしいことです

夏風邪は長いです。
少しずつ復調しているのですが、鼻はまだ壊れたまま。
微熱で苦しみ起床できない醜態をさらしています。
そんなわけで、土日は家で寝てました。本当に横になってました。
(正確には、土曜日の夕方に池袋のジュンク堂まで買い物に、日曜日は昼食の外食と夕食の買い物に出かけましたが、その多殆ど寝てました)

で、寝ながらBSでやっていた中日対楽天なんぞを見ていたら、その開始直前のニュースで、いきなり通り魔事件の報道。

秋葉原で一番有名な交差点ですよね、あそこ。

最近DVDはアマゾンに頼り切りだし、パソコンのパーツだってコアなものは望んでいないのでビックカメラ程度で事足りています(唯一、キーボードだけは気に入ったのがないので秋葉原まで行きますが-あ、あとマッデンNFLね)。
でもねえ。
怖いねえ。
多分信号無視して跳ねたんだよね。
警官は本来救護より犯人確保すべきだったんじゃないかな。(一応断っておきますが、救護したのが間違いだったという訳ではありません。ちょっと先で停止していたのだから、まず確保すべきだったのではないか、という個人的感想であって、人命救助を優先した警官の行動は正当であると思います。)

世も末です。それを携帯で録画している人もいるのです。犯人確保までの一連の動きが録画されていたりする時代です。
その暇があったらタオルかっぱらってでも止血に参加して欲しいですよ。

それにしても。道連れにするならアキバにたむろする大衆ではなくて、老害になりさがった石原シンちゃんとか、役に立たないキングメーカー気取りの森元総理とか、そのへんと自爆して死ぬ勇気があってもいいのではないだろうか。いや、暴力による言論弾圧を奨励するものではないが、せめてそれくらいの義憤を抱いて戦って死んで欲しいと思うのであります。
世間がいやになったなら、自分が他人に大きな迷惑かけることなく退場して欲しいわ。

体調不良で寝坊したからって、秋葉原詣でとか考えなくて、本当に良かったですわ。