まず以下に展開される発言は
「ライスボウルは現行のままであるべきだ」ではなく
「今回の決定とそれを歓迎する思考プロセスがクソである」
ということを言いたいのであって、結論が「社会人対学生でなくなる」であってもその本質が「天と地ほど違う」事を理解してお読み戴きたい。
今回の報道でよーーく判った事がある。これははっきり言って絶望的な事だ。
日本のアメフト化関係者にとって「日本選手権」という肩書きは電信柱の張り紙広告程度の重みしかない価値だった、という事である。
つまりライスボウルに「日本選手権」の名を冠しているのは他競技団体とは程遠く、単に「国内で最も規模の大きい2つの団体のトップチームが試合をするのだから」という程度のものだった訳である。
※そもそもアメフトには全国を統括する団体が無く、ライスボウルを運営するために日本協会と日本学生協会が設立されたという経緯がある。普及のために必要なルールの統一や医療基準といった部分が東西大学連盟という個別団体がそれぞれに行ってきた為に、こと関西学連の独自思考は相当に頑なな物がある。
だいたいにおいて日本選手権とは、その競技を日本国内で統轄する団体の、成人カテゴリーの頂点を決める試合の事を示すのだ。従ってサッカーやバスケットの天皇杯・皇后杯、格闘系の全日本選手権は国体で言う「成人A」「成人B」を包括している。
この原点は戦前からの「中等教育満了(6年生中学校修了を示す)してからは一般社会人」という実態の中で「競技に専念できなくなる年齢が大学卒業後3年(大学院修士終了までと同等)というモラトリアム期間」を捉えると同等の実力だったわけである。
※現時点でも大卒前提の競技というのはアメフトぐらい。ラグビーが進学率の関係でだいぶ変化したが、新日鉄釜石の7連覇の当時は高卒がメインだった。
故に他の競技の場合、日本選手権という看板は限りなく重い。これを上回る認知度を得ている競技は数少なく、陸上の駅伝(関東の一強化試合である箱根駅伝が、国際的には全く見向きもされない競技の1ローカル競技会が、商業的に全国中継されることによっての認知度が上がった程度である)くらいなのだ。
残念な事に、こうやって昭和40年代までに日本選手権がブランド化されたからこそ、綱引きだろうとカバディだろうと「全日本選手権」が成立しているのだ。
翻ってアメフトはどうだ。たかたがか半年・6回くらいの会合で簡単にひっくり返るアイデンティティの無さは何だ。
(ワーキンググループの方々がどれほど苦労されたか、はさておくとしても、その後のあり方まで議論が済むにはあまりにも「軽い」としか言いようがない)
つまり価値が根付かなかったのである。
この結果が響いてくるのは10年後だ。すなわち「日本選手権王者の看板が得られないとなった時、この金喰いスポーツに投資してくれる大学がどれだけ残ってくれるのか」という至極当然の問題である。
ラクビーはいい。高校で都道府県大会が開催出来るだけのチーム数があり、結果として進路としてのネームバリューは維持出来る。その上で実業団に就職チャンネルが維持出来るきっかけでもあり、投資する事で大学のブランド強化が計れる。
ところが実業団は実質三社+4公務員団体、ほとんどが就職支援無のクラブチーム、高校もごく限られた数しか無く大半が付属系列校で割りこむ余地も無し……なんか投資するメリットあります?
実際篠竹さん最晩年の日大はそんな感じで箱根とラクビーに投資したでしょ(学内派閥闘争みたいなもんだったのか、今は以前ほどそっちに投資していない)。法政も一時期ラグビーにフォーカスしていたし。
結果としてあの時以上の投資減少が発生すると思っている。その上で現在計画がある箱根駅伝のオープン化が実施されれば、まず間違いなくアメフトから陸上に乗り換える学校が地方でも出てくるだろう。
現時点ではそこまで学生側が深慮していとは到底思えない。そこまで考えていたらこんなネガティブキャンペーン許しては居ないからだ(関西学連内にWG作ってちゃんとした提言を上げる筈。ただ嫌々言うだけでは済まない)。