まあ、期待通りの人もいれば期待はずれの人もいる。そこはそれでいいのですが。
今回一番問題と言えるのが2点並列で存在していますな。
一つは「柔道が何故ああなったのか」
もう一つは「サッカーはあれで良いのか」
でしょう。
続きを読む・柔道がなぜああなったのか
軽量級の試合では、相手の上体を崩しに行こうとして、そこから相手の足取り技(双手刈りや朽木倒し)にやられる事が多かったと思います。
これは全世界の柔道が、「いかにしてポイントを稼ぐか」という「加点型」で計算されている事が原因でしょう。日本の柔道は全ての価値を一本に集約し、そこに至らないものを優劣判定のためのポイントに使う「減点型」と言えます。
どちらが正しいかは別問題であって、今世界で行われている「JUDO」はこの加点型スポーツなのですわ。
確かに発祥の地のスポーツルールをねじ曲げてしまうというのは問題なのかも知れませんが、ここは政治力の問題であり、自分たちの意図を理解しうる存在が少ないことを理解できていない現在の講道館体制そのものが問題なのでしょう。
そもそもカラー柔道着は見ている物に判りやすい、という配慮の物です。そこに抵抗した見識のなさは失笑物と言わざるを得ません。
正直、柔道などというものは日本の伝統文化ではなく(日本伝統の武道は柔術です。それを安全で体系立った方法で普及し、護身術としても使えるようにしたものが柔道というのは自明の理)、たかだか明治以来100年程度のものなのです。そんなものにああだこうだしがみついてもどうなるものでもないでしょう。
・サッカーはあれで良いのか
Yahoo!のコメントでよく「川淵一派追放だ」とか書かれてますが、そりゃ無理でしょう。それでも良くなることはない。
実際の所を言うならば、長沼-岡野-川淵体制の約30年間で、日本のサッカーは飛躍的に強くなったと思います。
ただ、残念なことに、その根底が「クラマーさんの教え」であり、そうやって育った人たちが自分の教わったものを信じてそれに縋って指導している為、その上限に達したというべきなのでしょう。
現在の指導者は、その指導できるレベルを公認機関による実技研修で差別されています。これはこれで、コーチの向上心を高めるのに役立ちます。
しかしながら、コーチの成績を判断するのがチームの勝利数だけでは話にならないのです。
なぜなら、イタリア式カテナチオのカウンターサッカーが一番勝つから。
それを小学生からたたき込まれて育った世代が今の五輪世代。しかも、国際経験が少ないから(これは指導している学校やクラブが、外国遠征を出来ないという軟弱な財政体質によるもの。夏休みや冬休みに、海外クラブに一ヶ月ほど留学させるくらいは必要で、それは正直な話「上位クラブが獲得金で潤わす」事をすべきなのです。
※人身売買という声も出そうですが、プロを持つというのは、そういう事だと思います。
従って、ジュニアやユース世代のコーチの評価は「上の等級で仕事の出来る奴をどれだけ育成したか」であって、試合に勝つコーチなど評価するいわれはないのです。
では、今回の本田圭のように「監督とは考え方が違ったので、選手で話し合って違うことをした」のが正しいのか。それは違う。彼は監督に「それは違う」と詰めより、監督ととことん話し合ったうえで戦術決定すべきだったのだ。彼は今後、今回の件が判断基準となり、恐らくチームが傾いたときにスケープゴートにされてしまうだろう(さらに審判批判も報道されているので、要注意人物となり下がった)。
その上で、はっきり言うけれど、楽天的な評論家の大半は自ら若年層指導のために解説現場を去って欲しい。彼らの無意味なお祭りコメントと願望が、みんなを勘違いさせているのだから。
あと、勘違いアナウンサーもね。そういう意味ではテレビ朝日は今後国際試合に関わって欲しくないんだよね。ここが一番の勘違い放送なんだから。