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12月から創元推理文庫での文庫版第二弾(『雪の断章』『忘れな草』『花嫁人形』『風花の里』『罪灯』『罪・万華鏡』)が隔月で刊行される事になった訳である。
つまり、佐々木丸美の推理小説は全て文庫化される事になる。
※多分復刊運動を推進・指示した人は以下の文章を読んで激怒するなり嫌悪感を示すと思います。それなりの覚悟をしてください。
続きを読む誤解を恐れずに言うと、佐々木丸美は「痛いメルヘン」作家であって、そこに推理小説の手法を入れた作品が幾つか存在する、というとらえ方をするのが正しいのではないだろうか。
それが証拠に、純推理小説は『崖の館』のみ。『雪の断章』は推理小説の体裁になっていない(あくまで少女の恋と成長の物語が中核で、そこに触媒としての謎解きが存在する。但し、それが作品の質を貶める事にはならないので誤解なきように)し、『水に描かれた館』はサイコサスペンスだし、『夢館』『忘れな草』『花嫁人形』『風花の里』は、普通の少女小説に因縁話のフレームをつけた体裁だし(『夢館』はサイコサスペンスの形式も取っているが、その結果シリーズ構成が破綻している)、そこから少女小説のメルヘン味付けが主体になる。結局『恋愛今昔物語』を過ぎてから『罪灯』『罪・万華鏡』で一度ミステリ回帰をしているが、『橡家の伝説』『榛家の伝説』ではまたメルヘン路線である。
恐らくこの人には「幻想小説」という手法を受け付けられない体質のようなものがあったのではないだろうか。幻想小説の手法を用いれば展開が楽であった作品の方が多く、それが佐々木丸美の限界だったという事なのだろう。
そして、痛いのは「昔の童話の不幸な少女の恋愛物語」から域を出ていない所が原因であると思う。
その意味で、未来が見えないという致命的な欠点と、過去の作品を切り捨てる事が出来ずに破綻してしまった点が、作家として埋没するいわれにつながったと思うのである。
さて、そもそも久保田が佐々木丸美の復刊に賛同しなかった事について、もう少し考えを述べていきたい。
賛同しない事と否定する事は一致しないので、そこを間違えて欲しくないのだけれど。
基本、佐々木丸美という人は「過去の人」である。過去の人を現代に召還するという事は、「現代に通じる」か「懐古趣味」のどちらかであって、佐々木丸美は明らかに後者になる。
そもそも平成の時代において「孤児を貰ってお手伝いの代わりに」なんて言葉が出てきたら引くしね。そういう意味で見て、現在に通用するのは『崖の館』くらいなのである。
前述の通り、佐々木丸美という作家は「痛いメルヘン」の域を出ていない。従ってこの観点から作家の全作品を復活させたとしても、そこにはさしたる価値が見いだせない。現代に通じる訳ではない以上、明らかに復活させるのではなく、読み手の個人的な懐旧趣味の中で細々と生き延びるほかないのである。
無論、世の中には独特の作風で唯一無二のジャンルを確立した作家はいる。典型例が夢野久作であり、小栗虫太郎である。ところが、佐々木丸美はそこまでの強烈な個性はない。
後輩作家に強烈な信者がいる訳でもない(強烈というのは、少なくとも復刊活動のメンバーの比ではない情熱を傾けてその作家をたたえ、ことあるごとに編集をたきつけて作家を世に送り出そうとするのである)。
であるはならば、全貌をはかり知る為に、そして推理小説の未来の為に復刊したり再評価されたりするべき作家、とは思えないのである(残念なことに、それは今でも変わらない)。
そう、この作家は過去の想い出の中で静かに咲いている路傍の花なのである。それを大々的に取り上げるのは、ニッチの仕事であっる。復刊運動の目指していた所(すなわちメジャーレベルでの復活)とは全く違う視点の、ニッチでアングラな世界の行いである、というのが久保田の判断なのである。
無論、復刊運動に関わった人たちがそれを目指した事を否定する物ではない。このへんはとにかく個人の嗜好の問題であって、他者を否定するしないの問題ではない。
久保田は『崖の館』の復刊は望んでも、佐々木丸美そのものの復活を望まなかった。これは立ち位置の問題に他ならない。
恐らく新作が出ても、それが我々の思い描いた佐々木丸美作品ならば、彼女の時は昭和から何一つ動いていない事になるし、それはあくまで過去進行形で読まれる作品となる。それは作品にとって不幸以外の何者でもない。
では我々が思い描かない形の作品だとしたら? 結果、良い方向に違う形になっているなら別だが、幾多の作家がそうであったように、読み手と書き手のギャップが生み出す軋轢はお互いにとって不幸でしかない。
作家・佐々木丸美は、伝聞ではあるが現役作家としての立場にこだわって復刊を拒んだと聞く。ところが、どう考えてもこの作家の新作として、何か新しい世界が出るという気は、どうしてもしなかった。上記のように、驚くべき偶然の確率の中でしか、彼女は彼女の望んだ形での復活は出来ない筈なのだ。
そして、それは小室哲哉にも通じる事なのである。
(多分明日か明後日に続く)