久しぶりに本屋に買い物に行きました。

金曜日の晩に組合で飲んだんです。
正直、あまり良い呑み会とは思っていません。酒席だからといって人をいじるにも限度があるし、こと私生活については深い仲でもない限りは揶揄してはならないというのは、どんな国の文化でも当然のこと。無礼講に礼儀あり、なのです。
ぶっちゃけ話、俺が独身だろうが彼女がいなかろうが、ロリ系の趣味があろうがヲタクだろうが、おまえには何の因果も影響もねえだろう、という事ははっきり言いたい。別にそこて゜俺の立場がどうこう、という気はしないけれど、少なくともお前とは二度と呑みたくないという気持ちにだけはなれるのだ。それはこの後2回ほどある組合の飲み会で顕著に出るので、他の人に迷惑をかけるだけなのだ。それが嫌で飲み会に出ないのだから、今後とも余計出なくなるだけなのです。

でもって、まあ酒が残っていたので起きられず、土曜日は休み。結果的に見てこの2日間は完全休養にしていてもバチが当たらなかったようです。
逆に本屋に出かけて3ヶ月ぶりに本を買ったんですが、あまりに不快な本を見てげんなり。
なぜ、北海道はミステリー作家の宝庫なのか? (ISBN-13: 978-4900541818 )
あまりに不快だったのでリンクしません。

全編通した訳ではありません。実はこういう我田引水本は救いがたい面があり(生まれただけなのか、その人がどこでどういう育ち方をしたのか、という事が間引かれるケースが多い為)、手に取る事はないんです。
たとえば、高城高の場合、作家となるベースは仙台時代の生活にある訳だし、逆に佐野洋は出身地ではない札幌での記者時代に作家のベースを作った訳で、この二人は扱われ方が逆なんですけど、出身地で縛る以上は矛盾になる訳です。
まあ、そこはいいでしょう。そんなものは序の口です。
ひどかったのは佐々木丸美の扱い。
ありゃないわ。ひどいというより、あの書き方見ただけで駄本決定ですね。

現物が手元にないので正確は期しません。
「読めないのである」「登場人物が稚拙なのである」「稚拙なのにハイデカーなど観念哲学を論じるのである」
という事から「伝説と化した為に稚拙なミステリーファンが飛びついて復活したのである」という結論に達したんですよ、この人。
こういうのが稚拙な論考、という事になるのに気づかないのね。
そりゃ何も知らなきゃそう取るけれど、執筆時の「少女文学の文体」とか「視点者が見たモノ聞いたモノをそのまま記録している」とか、そういう作法を無視している訳ですわ。
正直、主人公が大抵ハイティーンである事から、それを記載する文体として昭和50年代の少女小説・ファンタジー(ここでいうファンタジーは夢想小説の意。童話等の延長)文体として大きく外れていない。その上で一人称者が哲学を論じることはまずない。それは一人称者視点の先にある登場人物の会話の中に出てくる単語に過ぎないのですわ。
ろくに読んでない人が批評するなら、担当を変えれば良い(というより、先に割り振りれを固定化した為に故意に変えていないという編集の無能ぶりの路程)のに、そういう事もしないのであれば、外すべきでしょう?
そもそも佐々木丸美の復刊についての大半は、「過去に一度読んだことのある人が、絶版で入手不可能だった事から復刊を求めた、ノスタルジーによるもの」であって、佐々木丸美独特の世界を知っている人が求めたからこそ全巻復刊に至った訳で(復刊運動のサイトなどを見れば判る話ですが、それもしてない。していたらこんな文章には絶対ならない)、とにかくろくに調べもしない読書感想文で金を取るなとはっきり言ってやりたいですわ。

という中で、さらにげんなりしたのが神林長平『ブロークンアロー 戦闘妖精・雪風』です。これもここではリンクしません。っつうかアマゾンの仕様が変わったのに、まだ対応させてないので。
雪風シリーズは、無印の頃の「機械と人間の戦い」を、無理に引っ張って引き延ばした『グッドラック』までは我慢しましたが、今回は単に「敵は海賊」でやっているネタ(世界の平行化・存在提議の曖昧さ)を雪風でやっただけで、全く別の話とした方が-『死して咲く花、実のある夢』と差のない話になりかねないですが-まだ良かったような気がする。

そして、うーん、とうなるのが河出書房新社のムックで、宮脇俊三氏のものが出ていたんだけど。
この中で原武史氏がとんでもない勘違いをしているのに出くわして、さらにげんなり(買ったけどね、ほかに読みたいのがあったので)。
そもそも『「最長片道切符の旅」取材ノート』の脚注に不満が出ているのは、脚注になっていないからですよ。
別に原さんが現状を書いた事が問題ではなく、原さんが自分の自慢げな態度をつらつら書くから問題なのですよ。
神格化がどうこうではないのですよ。神格化が怖いから現実を、なんて事を言う原さんは何様ですか、と言いたいですねえ。じゃあ「坊ちゃん」の脚注で「今はどうこう」なんて付けますか? 今に通じにくいところをフォローするというさりげなさが脚注のあるべき姿でしょ? もし原さんの言う通りにしたいなら、脚注ではなく「平成20年当時との比較」という形で2段組にすればいいわけです(本は倍の暑さになるし読みにくいけど)。中途半端に自己顕示欲-原さんがやった事は「宮脇俊三を俺色に染めたんだ」という事であり、そういう事を自己顕示欲と呼ばれるのだ-を前面に出して善行を行ったかのように言い張るのはいかがなモノかと思う次第です。

まあそれにしても、買った本としては少ないなあ、3ヶ月分としては。まあ9月末分もあるので、もう少し買いますが。