悪筆家の為の必需品?

今までシステム手帳を使いこなせたためしがないのです。
それは、「自分の字が汚いから、システム手帳のサイズでは字が汚くて後で読めない」という致命的欠陥があったからなのです。
ってか、後で読み返す気にならない、ですね。

スマホにした時に、日程管理はまあ出来ました(使っているのはジョルテです)。しかし業務タスクはどうしてもうまく行きませんでした。
多分これからも、微妙なメモを付箋で貼っても、重なって消えてしまうと思いますので……というよりも、自分で故意に順番ずらしちて誤魔化すと思うので、それじゃなんともならんのですわ。
※一時期OutlookのTodoを使っていたのですが、特に入札参加資格なんかの時は裁ききれません。ってか、あれはそういう仕事の割り振りが悪いのであって、Outlookが悪いのではありません。

そんなおり、ちょっと買い物でぶらぶら見ていたら、こんなものが!


カシオのメモプリ という製品だそうです。(リンク先は製品シリーズのトップ)

どうやら感熱紙の裏面が再剥離シールになっていて、印刷したらそのままぺたっと張れる機能のようです。
ここに張った製品はBT接続でAndroid端末(Android2.3以降……LifeTouchNoteでは駄目か、くそっ)から専用アプリで印刷可能です。

使ってみた感想として、課題かがあるのでそこだけ。
・印刷時に先頭側に5ミリほど余白が出来る-そこを折り返せば、剥がすときに使いやすい、という事のようだ-が、その目的ならば後に余白が出来る方がいい。選択できたら文句は言いません。
・印刷出来る用紙が9ミリ、12ミリ、18ミリしかない。感熱ヘッド固定という仕様上なのかもしれないが、個人的には7ミリと36ミリが欲しいなあという感じ。
9ミリでは改行が出来ません。出来て欲しいなあ。
(22:00訂正:PC版だと改行出来ますが、Android版では全ての用紙サイズで改行出来ませんでした。改造期待)

(23:35再訂正:Android版は9ミリ以外は改行出来ました。但し改行ピッチ固定、フォントサイズ手動変更とでした。全ての用事で出来なかったのは縦書きです。)
・電源がACアダプタなのだが、出来ればUSB給電とか電池給電(モバイルとして使えるようにという意味)も可能にして欲しかった。

なお、今度はWi-fi版もでるそうなので、それはそれで面白そう。

 

京王線ダイヤ改正

22日からダイヤ改正だったんで、時刻表買ってみました。

改正ポイントを辛辣に言うと

  1. しばらく運行していなかった「特急」の復活、但し停車駅は準特急と一緒
  2. しばらく廃止されていた「特急 橋本行き」の復活
  3. 「通勤快速」を「区間急行」に変更、全日運転(新宿から調布までは通勤快速と急行の停車駅に差が無い)
  4. 「快速」が調布以西各駅停車

なんですが、細かく見ると以下のように。

  • 「準特急」は休日の高尾山口行きのみ。ちなみに北野から先は各駅停車
  • 夕方以降の新宿駅発「快速」の行先が高尾山口行きに、各駅停車が橋本行きに(改正前は各駅が高尾山口行き、快速が橋本行き)
  • 日中の「急行 橋本行」は全て「区間急行 橋本行」で、新宿線直通
  • 新宿線直通で「快速 調布行き(調布から急行 橋本行き)」の代わりに「急行 調布行き(調布から各駅停車高尾山口行き)」が増設
  • 日中・夜間「急行」「区間急行」は新宿線乗り入れ
  • 調布-橋本間の折り返しが激減(朝7時前までと、夕方の折り返し以降は22時台までなし)
  • 「特急 橋本行き」は調布で先に入線している「各停 橋本行き」と接続。「各停 橋本行き」は次の「特急 京王八王子行き」とも接続。

思うに、調布の地下化で「橋本行きの折り返しのために、調布から車両をつつじヶ丘まで回送して、つつじヶ丘で折り返す」というのが、調布以西でダイヤが乱れた時に相模原線も止める事になったとか、以前なら特急で調布へ行って乗り継ぎの急行が出たらすぐ各停が入線して(地上駅時代は調布で折り返していた)各停高尾山口行きと待ち合わせていたのに、各停高尾山口行きの後に入線するようになり、ホーム混雑が激しかったりとか、あと相模原線内の優等列車が稲城市内に泊まらないとか、そういう不便に対処するためなんでしょうな。

でも、やっぱり新宿線直通が昼間20分に1本とか、朝でも10分に1本とか、少ないと思うんだよね。それだけ京王線内の自己回復能力が弱いって事の証明でもあるんだけど。

ご報告その2

一応、畳みます。

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スマホ2.5台持ち

えっとね。
元々携帯のスケジューラをOutlookに連動させていた訳です。
で、FOMA端末で、以外と便利だったのが富士通端末と三菱端末の「待ち受けカスタマイズ」で、この中でスケジュール帳を待ち受けに出すことが出来たというのが、何より一番楽だった訳です。
(他にもパナ端末でも出来たらしいが、D端末=三菱の場合、メモ帳も表示できたのが分かれ目でした)

て、Android端末にすると、ジョルテのウィジェットが、Googleカレンダー連携機能で連動させる形でスケジューラになって表示できた訳で。

仕事していた時は、手元にメモ帳置いておけば、それにメモして後で携帯に書き込みして、Outlook連携で、という事が出来た(Outlookに書いて連携して、という事も)けれど、今はそういう訳にもいかず。
携帯に連絡が来る事が多くなったことで、いちいちスケジュール見る事が出来ない。
※GoogleカレンダーのOutlook連携は、2013年から有料ユーザーのみのサポートになった。過去にインストールしたツールは使えるが、サポート対象外。

こうなると、ジョルテなりGoogleカレンダー連携した電子手帳が使える端末がもう一台欲しくなる。通話はしなくてもいいから。

……そういや、むかーしむかしSigmarion3復活計画の際のモデム用に勝ったTouchDiamondがあったんだよね(2010年1月の記述をご覧ください)。emobileの奴。で、それ殆ど使って無くて、今PocketWiFiLTE使ってるから、死に体なんですわ。

そこで、こいつを交換して手に入れたのがこれ

GS03。通信をPocketWifi固定にしちゃえば、通信2段階定額は最低ラインで済むはず(PocketWifiは定額にしてある。ただしアメフトシーズンでないと使わない)。
今いろいろ設定してますが、スマホの欠点であるバッテリー問題は、実は二台持ちで解消できる(ってか、通話用はガラケーでいい)という事なんじゃない?

こうして考えると、タブレットPCの今後の方向性として

  1. サイズは5~6インチ、つまり背広の内ポケットに入って邪魔にならない程度
  2. バッテリーは公称10時間。無理なら標準オプションで大容量増設バッテリ付き。
  3. ガラケーなりスマホなりのカメラをリモートコントロール出来るアプリをつけるかわりにカメラ不要
  4. 手帳のようなカバー付き。例えば反対側にはメモ帳を挟んでおけるようなの
  5. スケジューラとテキストエディタ必須。
  6. かな入力対応キーボードがあるとうれしい(LifeTouchNoteみたいに。現状のAndoroidキーボードは物理キーボードでの日本語かな入力は出来ない)
  7. PC端末のOutlook同期可能なメーラーとスケジューラー(送信済みアイテムの同期は必須です!)
  8. 通信はWiFiとBT。
  9. 3GなりLTEはなくても良い(携帯にまかせる)

という事が一つの完成形なのんじゃないかな? と思うのです。
まあぶっちゃけ、タブレットって「それで仕事を創造・完結させるもの」ではない訳で、昔の超小型モバイルPC(東芝のリブレットなんかそうですが)と同様に「あくまで小手先で誤魔化す」為の道具ですから、スマホ並みの高機能もPC並の汎用性もいらないんじゃないかね、と。

ちなみに「2.5台」というのは、「docomoのスマホ(カーナビのモデムも兼ねる為、ある程度機種の限定が出る)」「イーモバのスマホ」とPocketWiFiLTEが通信用なので0.5台換算です。でもこれも一日つけっぱだとバッテリー喰うのよね。

スーパーボウル47雑感

いや、ログ見てたらnhk.or.jpから「bunzaでググった」人が来ていたらしいので、多分こっち系だと思うのであわてて更新します。

うん、だって「電子書籍で検索」っぽいとは思えないでしょ、「bunzaでググった」って事は。絶対誰かアメフト関係者が「あそこに勘違いして書いてるおバカさんいるから、反面教師として見たらおもしいろよ」とか言ったに違いないのよ。うん、多分そうだ、そうにちがいない(元がネガティブなだけなんですげと)。

それはさておき。

やっぱ停電ですよねー。生沢さんがしゃべりかけたら突然音声飛ぶは、しばらくしたら照明落ち始めるは、しばらく何が起きたか判らなかったけど「あ、停電だ」。
実家で見てたんだけど、49ersファンの父が会社時代の仲間と麻雀が入ってハーフタイムで外出、母は近所の葬式で停電中に外出。
で、停電空けから流れが変わったという……うちの両親が原因ですか?

ってか、多分後半から49ersの守備が機能し始めたんだと思うのですわ。
そこで守備時間が短くなった事で攻撃がリズミカルになって来たんじゃないかな。(まだ録画で検証してませんけど)

後半、停電空けパント後の49ersは、相手キープレーヤーをレイ・ルイスにして、そこを徹底カバーして潰していたように思えますが。確かにリードオプションはサッグスをキーに展開していたけど、ブロッキングアサイン的にルイスを遅らせる事が一番な作りだったように思うです。
だから逆に中途半端な距離になった4QのFG狙いの所とか、ナータ不在で中央緩くなった所でもあったのに、ルイスの差ポートが入った事でパス狙いになった、んじゃないかな?

それにしても、最後のレイブンズ「蹴らないで時間使ってセイフティ」ってのは見事。ってか、カバーチームはそれを予測してなかったのかね。時間かけずにセイフティ取るという選択はなかったのかな。
※セイフティだと20ヤードからのフリーキックなので、あのボールオンから蹴るより、24ヤードほど前で、ノープレッシャーで蹴れます。あの位置からパント蹴ると多分レイブンズ陣45ヤードから残り数秒だったんじゃないかな。

まあ、停電の有無は別として、後半はムッチャクチャ面白い試合でした。

ハーフタイムのビヨンセは……センターで渡辺直美が踊っていたら最高だったんだけどなあ。どおってことないや。英語わかんないし(MTV製作時代の方が、アーティストの迫力が出ていたような気がする)

 

ちなみに。ここを見に来る不思議なアカウントさんとしてはsoumu.go.jpさんとかsagamino.jp.ibm.comさんとかsharp.co.jpさんとか、全く身に覚えのないドメインがあるんですよね。まあ、それがどうしたの世界ですけど。

最近思ったこと(2)体罰

はい、体罰は悪です。但し、それは「分別つく、理性ある者に対して」ならです。
従って、「絶対悪」ではありません。

体罰による指導矯正は、心理学的には「行動心理学」の中の「反射」、つまり生物学的に言う「条件反射」、一般に言う「パブロフの犬」です。

つまりね。「理屈が通じない程度の相手に、恐怖という反射で行動を抑制する」事であって、ぶっちゃけ「度が過ぎない」範囲で体罰は有効な教育手段となりうるのです……但し、使い方を間違えたなら、加害側のストレス発散でしかなくなっちゃう訳ですね。

従って、必要な範囲での体罰は容認されてしかるべきです。何でもかんでも体罰を認めない、というのは、はっきり言って「育児放棄」と同列です。
もうちょっと言うと「体罰」と「暴力」は全く別次元のものであって、その境界をあいまいなままに「教育における暴力」=「体罰」という現状において、「体罰」は絶対悪でしかありません。

正直に言ってしまうならば、体罰の対象は、小学校中学年までですよ。

だからと言って過度の体罰は単なる暴力です。
間違えてはいけないのは、「自分の言うことが出来ないから暴力」というのは体罰では無く、暴力です。
体罰とは、「理を持って説明し、正しく行うことを指導したにもかかわらず、真逆のこと犯した罪に対するペナルティ」です。
加減を知らずにやることではありません。

従って、「俺様帝国」の絶対性を維持する為だけの暴力は、体罰ですらありません。自分の説明指導能力の低さを誤魔化す悪行です。
但し、「誰もが納得する理を持って説明し、正しく行うことを指導した」にも関わらず、犯罪・反社会的行為を行ったならば、それは多少異なるでしょう。
「誰もが納得する理を持って説明し、正しく行うことを指導した」にも関わらず、それをしなかっただけなら、その人の評価が落ちるのは正当ですので、その人はフェイドアウトするのみです。それは親がねじこめないくらいの正当性だから。

でね。今回ハシシタさんがやった事は、体罰と同じ「俺に従え」アピールなので、あれは失格っつうか、独裁者だね。裸の王様。
正しく行うべき「指導者を雇う金を学校予算の中に入れる」事、「指導者の評価基準を明確にし、適正でないものは1校あたりの一定期間以上の継続雇用を認めない」こと、ですよ。いつまで教員に指導させるんだって事の方が大切な話。
体育科の存廃は、それらの仕組みが出来てからの話でしょうに。
なんだかねえ、あの人に政権政党さらせるわけにはいかないよね、という気がますますしてきたわ。

あくまで体罰の話と体育科の話は全く別問題です。それを一緒くたにしてしまのは、如何なもんでしょう?

最近思ったこと(1)嫌煙権

とあるところで、嫌煙権至上主義者が「禁煙しないこと」についてなんか書いておられたので(多分その方、およびその場をご覧になっている方はここをご覧になってないと思いますし、私がそこを見ていることをご存じないと思います)。

正直に申し上げてしまうと、「嫌煙権至上主義者」というより「煙草害悪論絶対主義者」という気がして、そういう人に対して嫌悪感を抱くのでございまして。
※ついでに言うと、発言小町に多数生息する「法律でなってないから、夫の親は自分の親ではない嫁」にも嫌悪があります。あと、「運動不足だから運動しなさい。運動すればストレスも解放される」と通り一遍の事しか言えないアホ産業医にもね。

そもそも「権利」とは何か。
これは難しい議論なんですけど、一派感論としていうと
「所属する社会環境において、その環境維持における義務を果たしたことによって自らの利益を守ることを主張しうる資格、および行動」
だと考えられます……法律論的には。従って、準拠しうるものは「所属する社会環境」の中のことです。
従って、それを国家社会や行政区分において示すと、絶対守らねばならないのは「法律」であり「規則」な訳です。
ちなみに、これは明文化されたもの、とは限らない訳で、そこが問題。
そこを見ないふりして偉そうに語るのがアメリカかぶれ、という事。

アメリカンのような他民族移民国家の場合、その入植地ごとに元々の風習があるから、そこの風習について明文化していおかないと「問題解決」が出来ないので、各地域毎の決めこどを明文化している訳です。これが行政区単位で積み上がって、国益を守るべく「合衆国の法律」があり、下位概念して「州の法律」が存在する訳です。
マイノリティの権利は相当遅れて合衆国法側から降りてきた。いわゆる農奴に関する権利は、南北戦争時の政治的傾向である。先住民の保護は「希少動物扱い」である。まっとう正面から権利を語った事例なんてありはしないのですよ。
なので、いまだにマイノリティ差別が続いてるのは、それが「文化」という不文律でかたどられた「所属する社会環境」が立ち位置だから、なのです。
従って、このような社会学的側面から見た場合、「権利」=「説明不能なまでに社会に浸透した不文律に対して、屁理屈と言われようとも理詰めで説得して変化を起こさせる物」となる訳です。

で、嫌煙権。実は禁煙は日本に葉煙草喫煙文化が入ってきた(確か南蛮貿易が契機だから)室町時代末期から、特段厳しい制限が課せられていた訳ではない(し、取り締まりが出来た訳ではない)。法律上未成年の喫煙が禁止されたのは明治33年だそうだけど、年齢の記載は昭和22年だそうだ。ちなみに戦前の小説を読むと、明らかに高等小学校程度の年齢の未就労者(いわゆる不良少年)が煙草を吸うことをとがめる描写はないんですよね。
このような事から考えて「喫煙」は文化なんですよ。

だから、嫌煙権は文化に対して理屈で楔を打つ行為です。それ自体に何の問題もありません……その適応範囲が「自分とか自分の家族」に関わる範囲であれば、という話です。
つまり「私は、私の家族は、受動喫煙をしたくありません」という権利はあるんです、それは人間らしく生きる権利として、ね。
でもそれを「健康に悪い喫煙は誰彼なく辞めるべきである」とか「子供たちが見てあこがれてしまったら」とか、そういう妙な理屈で社会正義に仕立て上げて正義の行使のように言うのは、私は反対ですね。
(反対するのも権利ですから)

ぶっちゃけ、嫌煙権とは「私が嫌」という権利に過ぎないのですよ。社会正義を名乗る資格なんてないんです。単なるエゴ。煙草吸う人と大差ない、きわめてちっちゃなエゴイズムの一つに過ぎないんです。但し、「健康に生活する権利」と「嫌な物を拒絶する権利」において、要求することは正当な資格に基づいている範囲の、エゴです。
エゴ、と言われてムッとする人もいるでしょうが、ここでは「自己主張」と言い換えてもいいですよ。エゴとエゴのぶつかり合いを調整するのが「約束事」なんであって。そんなものは時代と共に変容するもんです。

ですので、「自分の子供に煙草を吸っている人の姿を見せたくない」という権利はあったとしても「他人の子供が喫煙する姿を見て煙草を吸うきっかけになるかも知れないから、喫煙は廃止すべきだ」という権利は世の中に存在し得ない。なぜならば、その子供が煙草を吸うかすわないかは、その子供の家庭の教育指針です。抑止できない事はその家庭の脇が甘いだけの話、嫌煙権主張者の利益には全く関与しないですよね? 従ってそんな権利は嫌煙権の範囲ではないのです。

煙草というものを廃止させたかったら、政治家になって法律を変えれば良いだけです。いや、だけではない。煙草を廃止するということは、国内にいる葉煙草生産農家に「死ね、のたれ死ね」と言うことですから、彼らが「葉煙草作ることにメリットがない。自分たちの生活を守るために割のいい仕事がある」という方向に舵を切らせる努力もしっかりして転作対策をしっかりして、また昔の専売制度の名残で残っている町のたばこ屋さんも転業促進して、という大局的に追い詰める事が出来て初めて廃止できるんじゃないですか?

よくアメリカのスポーツでは煙草は絶対吸わない、という意見を聞きますけど、逆に大麻やマリファナで検挙されて保釈金ですぐ出てくる奴多いですよね?(ついでに言うと、追放された後の事は報道されてないだけですよね)。飲酒に寛容な文化でありながら、飲酒事故多発してますよね? そういう比較の点で、本当に禁煙行為だけが正義なんですかね。私は疑問です。

とはいえ、個人的に「嫌煙権」を行使する方を否定している訳ではありません。かつて喫煙者だった私としては、彼らに不快な思いをさせた事について、ちっとは反省してますし、彼らが「嫌っ」ていうなら、彼らの権利を守る義務が喫煙者にはあると思いますよ。
そもそも喫煙者の低いモラル(喫煙所で無いところで平気で煙草吸ってポイ捨て、とか。そうやって自分の首絞めてる訳だからね)が嫌ですから。

ただ、「喫煙権は正義!」とか抜かすんだったら、それは「ふざけんな」と言うだけです。

正義なんて相対的なもんなんだから。

※国家的に健康に言及するのは、「納税義務を果たせる人間を多く確保する為」という経済学的な意見があります。ただ粋すぎた結果が「老人介護にそれ以上に金を出す」ということになっている事も事実ですが。あ、いえ「長生きして欲しい」と願う権利は阻害いたしませんよ。ただ、学問統計的な話ですからね、これは。

言うねえ、鳥内さん

Touchdown誌最新号を読んで思ったのがこれ。

ってか、FirstDownで試合の詳細戦術解説しちゃったのを受けて、本誌の内容がないよう……になりつつあるなあ。

そんな中での鳥内さんのインタビュー、「学生チームがここまでできるのだから、社会人チームはもっとできるはず。がんばりが足らなかったのではないか」という発言がちと気になりました。

いえね。ぶっちゃけ、「ラスト1試合」と「次がある試合」では全く違うのですよ。
はっきり言って「ラスト1試合」である関学は、「自分が怪我してもいいプレー」というより「相手が怪我してもかまわない」プレーになっても仕方が無い環境でプレーした訳です。
乱暴なことを言えば、「来年梅雨頃までに自分の怪我は治ればいいや」の下級生と、「これを過ぎたらプレーしないかも」の4回生がやるプレーと、「試合翌日に仕事がある」社会人とでは、やはり「心のブレーキ」が違うと思うのですよ。

ましてや「オービックだけじゃない」環境、少なくとも社会人は3-3-4-4-4(2013年度の場合上からオービック・鹿島・パナ-富士通・ライズ・飲料-IBM・シルバー・アズワン・オール三菱-東京ガス・ユニシス・ファイニーズ・パイレーツ-ハリケーンズ・警視庁・サイクロンズ・ブルーインズ)の階層化がなされる訳で、「ラスト1試合」以外で現行2ステージ制の中で対戦しても、そりゃどこか「心でサイドブレーキ引いた状態」になりますって。

だから、オービックに勝ったとしても、その後がなくなる可能性は高い訳ですよ。そこで無理したら、自分の人生棒に振る訳でしょ。

それとこれをいっしょくたにするのは、どうかなあ。

それに、JXB見て、本当にそう思うのかなあ。あの壮絶な試合を見て。

そんな風に感じました。