くぼたさんの祖父は、明治生まれでした。尋常小学校出てすぐに地域の信用組合(現在の飯田信用金庫の前身の一つだそうです)に入り、才覚を発揮して色々な事に尽力しました。
当時尤も優れた功績としては、養蚕組合「天龍社」の立ち上げに際して資金的、手続き的な面で奔走し、東京で追いかけてきたヤクザと一晩睨み合いの末相手を引かせ、画期的な団体が下伊那に立ち上がった際の陰の立て役者だったそうです。
(一応。昔この件でNHK教育の取材があったそうです。また、地域新聞「南信州」でも連載記事がありましたので、裏が取れている事のようです)
その功績を認められ、長野県庁の出納係に転出、その後昭和天皇疎開の受け入れ実務を担当されたそうで、昭和天皇に蜂の子を献上したのも祖父だそうです。
県庁を役職定年後、飯田信用金庫に招き入れられ財政を立て直し、祖父在任末期には全国信金中でもトップクラスの成績にまでなったそうです。
そんな祖父ですが、くぼたさんが大学3年の時に癌で倒れ、手術したものの、社会人3年目の冬に他界しました。
今回、リストラに遭遇し、かつ短期間で再就職できたのは、多分この祖父が天国で「はれまあ、なんて情けない。おじいちゃんがいいところを見つけてあげるから、後は自分でなんとかしなさいよ」と、求人票が目につくように仕組んでくれたに違いない、と思ったのです。
ですから、一度ちゃんと墓前にご挨拶しにいかねばなるまい、と思っていたのですが、スケジュールがかみ合わず。
祖父母(既に過去書いていますが、祖母も他界しています)の住んでいた家に、2ヶ月おきくらいに母が風通しに行くので、その時に行きか帰りに母を車に乗っけてついでに墓参りし、一泊して帰ってこようと思ったのですよ。
本当は4月中か、5月の連休当たりで生きたかったのですが、母の都合が合わず断念。
ちょうど今の会社の制度で「土曜日の祝日のぶんを各自の輪番で付け替える」という仕組みがあって、6/24をそれに当てた(24日昼までに帰って来て、その足でドームに行くつもりだった)までは良かったのですが、なんかその家の近所で火事が出たということで、急遽繰り上がり、こっちが予定変えられずずれてしまいまして。
※家の周りは、この20年間の間に正面、右、左前、と3件火事があり、今度は一軒おいて後の家。どうも祖父の家は井戸を塞いでその上に建っているそうなので、水神様のご加護なのでしょう。
そこで、本日日帰りで行って参りました。
場所は長野県下伊那です。
電車だと4~5時間かかりますが、車だと3時間半かからない。日帰りできちゃうんですね。
乗り鉄としてはちょっと癪ですが、これでは勝てないですね、鉄道。
あまりの陽気の気持ちよさについ携帯で撮影。行きの談合坂です。コンデジ忘れた。
でもなんでバス旅行はみんな談合坂で休憩なんでしょ。
よそのご家族が入ってしまいましたがゴメンナサイ。双葉です。
諏訪インター下り線(上の段)。諏訪インターには温泉があるのですが、上り下りで料金が違います。理由は、岡谷市と諏訪市で入湯税が違うからだそうです。
駒ヶ根から。上が中央アルプス、下が南アルプス。駒ヶ根は行きも帰りもSAが改装中で、面白くなかったです。
お寺の方はがらんとして寂しかったです(そりゃ時期が悪い)。尤も、たどり着く前に曲がるところ間違えて妙な山道には行って切り返すことが出来ず焦ったのはナイショ。その道、カーナビにも無いんです。
心地池にいた蜻蛉。大きかったです。
祖父の墓前から町を見下ろしたところ。運が良ければ飯田線が走っているところにも出会えますが、今回は叶わず。
帰り際に飯田線の最寄り駅・山吹に寄ったのですが、昔は行き違い可能な相対式ホームだったのが、今は駅舎も無く片側の線路が外されていたのにショックでした。ご本家様(祖父の代で分家しました)に小学生の頃はここまで送って貰ったものです。中学の頃には市田駅からタクシーで往復するようになったので、ご本家に上がることもなくなりました。
今、ご本家も伯父さんが今年亡くなり、義伯母がアルツハイマー抱えて親族に見て貰っているだけ、なのだそうです。
ご本家の伯父には、池の鯉のつかみ取りをさせてくれたり、水路に仕掛けて川魚を捕ってくれたり、天竜川に投網を打ってくれたり、いろいろ子供の頃にやっかいになった記憶があります。
帰りは天気が崩れたり事故渋滞3連発だったり、ひどい目に遭いましたが、まあなんとか19時半前には帰り着けました。
ところで、この事を母が姉に喋ったところ「あいつ、いよいよ危ないんじゃない?ヤバいんじゃない?」と言ったそうです。おまえのような不義理者とは違うのだ、俺は。
※祖母存命中に結婚の挨拶もせず孫も連れて行かず、未だに墓参してないんだよね。ひどいじゃないか、なんという言いぐさ。