と(2)より続く
ただ、OB側の主張もどうかと思うのだが……
まず法政がここまで強豪になったのは、「部内の活動は学生の自主性を尊重する」というルールに則っている。しかし外国人指導者の導入はそれに反する流れ(指導する側は指導される側の都合では動かないのが彼らのガバナンスである)だし、学生自治の放棄に連なることだ。そして外国人指導者は金がかかる。
上っ面の導入は、正直言って法政の良いところを消してしまいはしないか。
もしやるなら、OB会が外国人コーチを「クリニック」形式で数日間招聘する事の方が現実的で、それは大学に依存しなくても出来るのだ。
ぶっちゃけ、学生自主の中にOBは含まれない。OBは監査支援に徹しなくてはならない。現状ではOB会の一部が暴走して都合の良い幼稚な言動をしているだけに過ぎない、と思う。
そもそも「監督」の位置づけは何か。「指導者」の位置づけは何か。「部長」の位置づけは何か。そこが何らはっきりしていない。
日本に於いては監督の下にヘッドコーチを置くのが一般的だが、本来は現場監督がヘッドコーチで、運営監督がGMなのである。日本はそのどちらも監督に押しつけすぎている。
そういう意味で「部長」はお飾りだし、運営監査はお飾りの部長が盲判で済ませてしまう事になる。
そしてOBとか父母会はご都合主義の権化となり、監査実態を持たない「金も出すし口も出すが整合性の取れない思想性の欠如した」口ばさみしか出来ない圧力団体として混乱を導くだけなのである。
過去にもネット上で「四年生が全員退部を突きつけて監督を交代させた」と言うチームの情報が流れた。でも、そのチームは結局監督交代しても今の地位から浮き上がることは出来ていない(し、その世代以降暫くは社会人で活躍していない)。
要するに思想的・論理的にしっかりしたコミュニケーションが取れていない中での学生主導(の形を取った一部OBによる)のクーデターは、嫌悪対象の排除だけが出来るのであって、事態を好転させるきっかけにはならないのである。
※故に、篠竹さんは過去3回のトラブルの際に学生におもねること無く退部をさせた。学生に迎合することが思想の崩壊による姿勢の崩壊を認めることになると判っていたからだ。それが正しいかどうかは別問題だか。
そして、こういう話になるとどうしても思い出すのはヤン・タイロンの言葉だ。
ヤン・タイロンとは小説『銀河英雄伝説』の登場人物、ヤン・ウェンリーの父親で、第一巻の回想場面に登場する。
幼いヤン・ウェンリーが「独裁者ルドルフ・ゴールデンバウムが生まれた理由」を大人に聞いて廻った際、きちんと説明出来たのがヤン・タイロンで
「みんな楽をしたかったから」
という至言を述べている。
つまり、誰かに決定をゆだねしまえば自分はその決定に対する事で悩まない。対応も誰かに任せればいい。それが積み重なると強大な権力になり、その暴走した時の危険性を理解したときには手遅れになっている、というもの。それが大衆心理だと。
これは、OB全てにかかわっている問題ではないだろうか。
仕事が忙しいというのもあるし、年齢が行けば家庭を無視して競技に時間を割くことも出来なくなる。結果として「今のままでいいや」と監督の長期政権を認めてしまう。
そこに「自分が楽をしたい」という物差しが存在しない、と言い切れるだろうか?
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現在、一九六〇年代から存続している大学は、安保闘争の過程で行政介入を拒む傾向にある(当時の学生運動が警察権力の介入を拒んだ関係で、特に70年安保以降に警察の学内侵入に関しては事前許諾が無い限り拒否出来る事になっている。従って犯罪疑いがあっても学生自治会の許諾が無いと学内には入れないのである)。
従って細菌の言葉であるガバナンスとかそういう事は、受け入れない可能性が高い。
その為、「学校が出来る範囲」と「学校が出来ない範囲」がきちんと切り分けられ、「学校が出来ない範囲」について後援会(チーム後援会、チームOB会、チーム父母会)が執り行うように切り分ける事からスタートし、当事者である学生、管理者である学校、支援者である後援会が互いに関係を持ち続けることが大事なのではないだろうか。
その上で、「学校職員外から指導者を招聘する場合は後援会が雇用する」「学生・院生以外のコーチの任期は本人事由以外では5年の有期で、5年ごとに学校と後援会と学生による評価を受け、継続するか否か決める」「職員コーチが定年を迎えた場合は任期中であっても職員外コーチとする」「職員外コーチの場合、日給換算で指導料を支払う」等の決めごとをすれば良いのである。
ちなみに、これは個人的な意見だが、専任コーチを雇う場合は50代になってから、変形6ヶ月勤務(秋シーズン内休みが取れない事を考慮して)で、基本週6(オフシーズン週3で調整)の状態で日給2万1千円(一般的な年間休日が120日前後なので、切りよく240日勤務とした場合、年収500万ちょい。単純計算で賞与4ヶ月として見た場合、月収額面でだいたい31万くらい。1日八時間拘束として時給2600円。派遣請負でいくと時間単価3000円くらいが一般的だと思うので、こんなもんでしょう)。退任時には役職と任期にに応じて慰労金を出す(とはいえ、3期15年やっても1000万行かないくらいで良い)というのが、最低のラインだろう。
※時給2600円は、パートタイムコーチへの支払いのベースにもなるが、経験年数で単価は変動させるべき。
当然これは「指導者を目指す選手」の人生設計にも関わる。50歳で退職してコーチ専業になるという事は、少なくともそれまでに下の子供が大学に通っているか高卒で働いて居て欲しい訳で、結婚と子育てのバランスを見据えて人生設計しなくてはならない訳だ。その上で少なくとも一般社会で様々な仕事を経験し、家庭の問題も乗り越えて、人間的な成長があって初めてコーチになる事が出来る、ようにならねばならない。しかも評価によっては土地酔うから無職になる訳で、恐ろしくリスキーだ。
そして、この思考が全国に広がって「有償コーチの雇用」という事が一般化したら、広がりはもっと違った方向に進むと思う。
こういう指針を日本協会が出して行く事も必要だが、少なくとも今回のような問題は「自分の学校で雑草取りだけしていればいい」で未来永劫根絶出来る話ではないのと思っている。
だから、こういう問題を起こしたチームは、常に監査内容の公開とか、制度の公開とか、とにかく「全部見せます、聞かれなくても」で挑まなくてはいけないと思うのだ。
そして、法政がそれをリードして欲しいのだ。そこまでして初めて改革なんじゃないだろうか?