ライスボウル改革に関して(5)

まず以下に展開される発言は
「ライスボウルは現行のままであるべきだ」ではなく
「今回の決定とそれを歓迎する思考プロセスがクソである」
ということを言いたいのであって、結論が「社会人対学生でなくなる」であってもその本質が「天と地ほど違う」事を理解してお読み戴きたい。

さらに宜しくない老害ファンの言動について触れておく。
おおよそにおいて彼らの脳内は「ライスボウル開始以前」あるいは「東京ドーム開催以前」で思考停止しているので、現代において全く意味を持たず、はっきりいって「競技人気が衰退しているのに、提示される意見が30年前への回帰」というのは、どうしたものかというより「お前らがポックリ逝った後どれだけ新しくファンが流入してくるんだよ」という疑問しか湧いて出ないのである。

90年代を転換期として「サークルイベントとして定番のスポーツ観戦」「ゼミでのイベントとしての定番のスポーツ観戦」というブナかは途絶えて久しい。実は六大学野球なんかはもっと早い段階で人気が衰えたが、かのラグビー対抗戦の早明戦も、90年代後半からガクンと人気が落ちた。
一つには「個の時代」の蔓延(集団行動を忌避する流れ)がこの頃から発生しだした事、就活においての楯の繋がりが無くなってきた事(前半はバブル期における「就労形態の多様性」、後半はバブル崩壊による就労支援削減。さらにITバブルによるベンチャーブームが拍車をかけている)など、対人関係の変化と狭小化が発生している事。
そしてもう一つは「1つのブームは10年を超えられない」という現実である。つまり「10年前に始まったブームはその世代のもの、10年後にブームを担った世代が卒業した後、新しい世代は前の世代の価値観を否定して新しい価値観に乗り換える」という価値観の変容プロセスそのものである。
よく考えてみて欲しい。16歳高校1年生のころに流行ったものに対して10年後26歳になってまで興味を維持出来るだろか?ミドルティーンが結婚適齢期むになるんだぜ。当然卒業しちゃうでしょ。
じゃあ自分たちが16歳の頃、26歳の人たちが熱狂していたものに夢中になれただろうか? かなりの割合で「古くさい」という事で忌避してきただろう。

その事を踏まえて考えて見て欲しい。

  • かつてのように東西オールスターにすればいい
  • 社会人なんて企業に特化して強化しているセミプロ・ノンプロなんだから
  • もともと社会人が強化すれば学生が勝てなくなるのはわかりきっていたんだからやらないのが正解だった

2つ目なんていつの話だっつうの。実業団スポーツそのものに「新規参入」する企業なんて限られている。現時点で一番多いのは「企業チームが撤退するのに伴いチームを引き受ける」であって、それも結構「地元に還元したい」という意識のもので、ゼロから立ち上げるケースは皆無。現状社会人チームに多いのは「クラブチームとして選手スタッフが集まり、そこに企業がスポンサーとして支援する」ケースで、この場合選手がチームorスポンサーとプロ契約するか契約社員として登録するパターンだ。つまりいつでも撤退できる体制って事(この間のDeNA陸上部がこの典型例。東京五輪までスポンサーになったが駅伝で思った効果が出ずに個人競技に切り替えた挙げ句2020年で完了。このパターンが多い)。またクラブチーム化しても元企業がスポンサーに廻らないが為に行き詰まるケース(パナソニックのバスケ部はBリーグ化せずスポンサーにもならず、で解散)というご姿勢である。社会人アメフトでも「シフトの融通」はあっても「勤務時間内の練習」なんて今はないし、それなりの選手は引退後同期との出世格差に悩んで退社すると聞いている。それを、一体いつの話してるんだか馬鹿じゃない?
3つ目も馬鹿な話で、というのも「統一団体がない」「ルールが統一されていない」「全国大会が存在しない」スポーツなんて、その当時からアメフトくらいだったし、その状態で助成金が出るとは思えないし、もっと言えば「アメリカン・カジュアル」の一端としてブームになっただけの競技の人気が維持出来ると思っているのだろうか?
プロセス上必要な大会である事、プロセス上この結果になるのは当然の帰結である事、そして「思った以上に社会人のチームが地域的に広がってなかった事(故に福岡サンズは維持しなくてはいけない団体である)」計算外を含めても、日本のアメフトの発展には欠かせない存在だったのである。

さらに呆れるのが「東西学生オールスターとして昔の形式に戻す」である。
カレッジボウル終盤を思い出して欲しい。
オールスターの場合、出場選手に怪我をさせてはいけないという前提から花相撲的な扱いになる。結果「ファンが喜ぶ組合わせ」は出来ても「一見さんが見てのめり込むきっかけ」にはならないのである。
これはJリーグのオールスター戦が無くなった事、プロ野球の交流戦が始まってからオールスターの人気が激減したこと、NFLのプロボウルが廃止議論にずっと晒されている事など、複数の事例が存在している。
平たく言ってしまえば「クリープを入れない珈琲みたいなもの、誰が見たいか」なのである。
ファンが想像するファンのためのイベントってのは、大抵ファンだけがはしゃぐのよ。それを見て外野は辟易して遠巻きにして近寄らなくなるのよ。

再三方々で取り上げているけど、確かガンダム25周年の時かな? BS1で劇場版一挙放送した時に富野監督のインタビューがあって、あの人は貪欲だから「アニメ映画でブームを起こすことが最終目的」と言った際だ。NHKの高山アナが「え、でもガンダムでもの凄いブームになったじゃないですか」と返した時の富野監督の言葉が忘れられない。
呆れたように「ふっ」と笑って「だから、あれはファンが騒いだだけなの」「見てごらんよ『マトリックス』を。一般のなんでもない人たちがみんな見にいくじゃない。ああいうのがブームっていうの」
他の所で富野監督は「ファンが騒いでいるだけではいずれ衰退する」と言っている(オタク批判として)。
それと掛け合わせたらわかりそうなものだろう。オールスターに普及活動への未来がない、という事を。

もし新しいファンを獲得してなら、自分たちの好きな物が認められたいと願うなら、インサイドに向いた思想ではダメなのだ。いやもっと言うと「内側の人の都合の良い想像で描き出した妄想上の外部の人」を相手にしてはいけないのである。

そこがダメダメな議論となっている事に気付かないのである(そりゃSNSで100くいいねは付くだろうけど、所詮その程度で終わる話だ)。む