非破壊自炊に挑戦(1)概略

11月に入ってから妙にレスポンスが悪いと思われている方も多いと思います。
リストラ対象と言うことで有給休暇消化してんじゃないのか、という世界の筈なのにこれはどうしたことか?

ええ、実は今、非破壊自炊という奴に挑戦しています。

非破壊自炊というのは11/4に書きましたが、自作電子書籍の一形式です。

まず、電子書籍という最近話題のモノについて、独自の見解でお話ししていきます。あまりに偏った意見なので「意見には個人差があります」(マルC:「今夜も生でさだまさし」by NHK)ということでご了承ください。

まず電子書籍というのは3つの状況を1つの言葉で表しているので、そこを理解しておかないと。
1.コンテンツとしての「情報」-ま、ケータイ小説なども含めて「本文・挿絵」のことです。
2.コンテンツを見る為に用意されている「規則」-いわゆる「規格」です。
3.規則に則って閲覧するための「道具」-PCやタブレットなどでは「ビューアソフト」、それから最近話題の「専用端末」
これらについてそれぞれ別のモノであるという認識を持った方がいいのであります。

正直に言ってしまえば、「1.コンテンツとしての「情報」」は今後出版されるモノの大半は電子化が同時並行で行われると思います。だから、よほど体力が無い会社で無い限りは、「電子化しないというステータス」「電子化では得られない感動がある、というポリシー」で運営する版元以外は、今後のものについては問題が無い。
そしてもう1つは、昔からある電子書籍の中でも、著作権切れコンテンツのテキスト化をやってきた「青空文庫」のコンテンツを利用すれば、それなりに古典名作は読めるわけです。

※青空文庫と著作権切れ:現行法において、著作物は著者の死後75年を経過(戦時加算を除く)したもはの著作権切れとなるのだそうです(翻訳物は現著者+翻訳者で決定)。これらについては著作権継承者は金銭的な対価を求められなくなる、そうです。その為死後75年を超えた物を有志でテキスト起こしして公開しているのが「青空文庫」。従って各電子書籍ストアで青空文庫のテキストを利用している物は価格0円となっています。また、著作権を保有している作家でも無償提供している作品があります。つまり、現在の所戦後まもなく亡くなられた方くらいまでは、無償公開可能という事になります。
これについて個人的な見解を残します。確かにテキスト公開化は0円でもよいですが、校異校訂や異本調査・改訂履歴追跡といった編纂作業は対価が必要であると考えます。特にある一定の価値のある作家の全集の書き起こしなどの場合、その解説や校異校訂について、また資料書き起こしについては有価として販売することが望ましいと思うのです。(そのことをしっかり明記した上で、ね)。

で、じゃあ一体どんな時に本を読みたくなるか、電子書籍が欲しくなるかを考えてみると、「昔読んだ本をもう一度読みたくなったけど、図書館にも本屋にもない」みたいな場合なんですよ。
特に版元が倒産した、コアなマニア向けに実質初版限定で売られた、なんてものや、その作家の中でもさして評価が高くない物、といった「とっちかと言えばかすが裁けるわけじゃ無く、瞬発力で捌けてそのあとちょっとしか裁けない」ようなものについての要望って高いと思うんですよね。

さて、そんなコンテンツについては第2回以降に触れるとして(長くなりますから、数回に分解するつもりです)、次の「規格」です。
基本的にグーテンベルグ以降、印刷文化というのは欧米主体のものです。欧米は26文字×2倍+10数字+主な記号+各国語記号で構成さ1296れているので、俗に1バイト文化と言えます。文字列表を作ったとしても、36進数×36進数のマトリクスで内包できてしまう程度の世界ですし、せいぜい違いと行っても右から読むか左から読むかの横書き文化です。
ところが、漢字文明圏(感じに限らず、ハングルなども含む)では文字数だけでも全く足りない。さらに横書きも縦書きも混在する。ルビもある。
という事で、日本の電子書籍は長いこと独自文化にならざるを得なかったのです。
ぶっちゃけ、日本における横書き文化ってPCが爆発的に普及した事と、インターネットに個人が情報公開の場を持つ事で爆発的に広がったようなもので、3000年対20年ではまだまだお子ちゃま文化なんですね、くぼたさんに言わせれば。
例えば、ケータイ文学は、横書き前提iモード文字セット限定というフォーマットで、それを印刷ドキュメントに起こせば書籍かも出来る訳です。
もっと言うと、作成環境に依存した文字しか使えないから、JIS水準に無い文字で悩む必要は無い訳です。
じゃあどうやってそれを、横書き縦書きルビなどを表現するか、という事でずっと日本は独自規格を打ち出してきたのですよ。でも、どうしても外国が乗ってこない。
で、まごまごしているうちにAmazonの電子書籍サービスという、全世界の出版業界を驚かせる問題が出た訳で。
ここで、Amazonは独自の著作権保護機能を使うため独自形式を採用した、という事になっていますが、その実は国際標準規格として推進されていたEPUB形式の拡張機能だった訳です。
この規格EPUBは、日本の電子書籍端末ではそれほどサポートされていなかった訳ですが、逆にEPUB対応端末である楽天のKoboが販売された事、EPUBが最新リビジョンEPUB3.0で縦書きやルビといったものに対応した事(文字セットはUnicodeとなった為、JIS環境よりも異自体対応が容易になったことも大きい)によって、日本でもデファクト・スタンダード化されそうな勢いです。

そして、このEPUB3.0の登場によって、書籍端末は大きく変わってきた訳です。
正直に言うと、紙の書籍というのは「今後も残る」し、「これからも重視される」と思います。電子書籍として有用なのは前述したとおり「時間がたって読み返したくなった、一度は捨てられてしまったような半端な本」だと思うし、また「昔から読み捨てされるような読み物系」-自虐的に言ってますが、文庫の殆どとか、ラノベとか、漫画の殆どですね-なんですよね。
従ってこれから先、多分文字拡張の問題によるEPUBの改訂とともに新しい改版をしていく事には成るとしても、基本どのソフトもEPUB対応が原則だと思うんですよね。
※原稿ではiBookがEPUB2.1対応ということで、ここに遅れが出ている。
実際問題、シャープが満を持して投入した端末GARAPAGOSは製造中止(閲覧ソフトと書籍ストアのみの提供)、ソニーと東芝の端末はKobo投入とともに大幅な値下げを余儀なくされ、そのKoboもAmazonのKindle投入でお互いに値下げスパイラルに入るという事で、これから専用端末は国内ではKoboとKidleに淘汰されるような気がしますね。

さて、長々と語ってきましたが、今回自分の持っている本を電子書籍化する事を思い立った最大の理由をここで書かねばなりません。
今回希望退職という名のリストラを受け入れてから、「昔に読んだ推理小説を読み返してみたい」と思ったのが事実あって、じゃあそれって電子書籍で読めたらかさばらなくていいな、と思った所に始まりがあります。

ところが!
各電子書籍ストアを見てびっくり。まず、日影丈吉がない(Kindleストアに唯一『ミステリ-食事学』が分割販売されていた)。眉村卓も最近の物しか無い(『引き潮のとき』が読みたいのだが、黒田藩プレスが5巻中2巻で止まっている)。横溝正史が790円とかありか!?(そりゃ、30年前に340円でしたからねえ)
日影丈吉の電子書籍としたら、国書刊行会の全集ベースになるから、『内部の真実』は初版ベースになるので、それはなんか嫌(最後の大手大尉の台詞が好きなので、あとこだけでも改訂判にそろえたい)。

という訳で、どうせ時間をもてあますのだから、という事でやってみることにしたのです。

(その2へ続くのであった)