一応今回、非破壊自炊のやりかたについて長々と書いてみましたが、ここで自炊行為について個人的な姿勢を掲げておきます。
あくまで自炊行為は私的複製権の行使の一形態に過ぎず、音楽のように持ち歩きメディアに転送することと同列の行為だと考えています。
ですから、本を裁断しようがしまいが、それが個人の勝手だという理屈は否定しません。古本屋に売るのと同じですからね。
ただ、正直に言ってしまうと「新刊本を裁断して」とか言うのはもう心得違いだと思うんですよ。少なくともこのご時世(koboが出てから、大手出版社の新刊の同時電子書籍化というのは必然に近い形)、携帯利便性を問うなら新刊本を買うのでは無く新刊電子書籍を買えばいいし、また作家に対してそれを訴えればいい訳ですよ。
本を読んだ事によって、その書籍と共有した時間というものが読書価値である、という個人的な意見の元においては、ツールはともかく、一度手にした物を故意に破壊するという現在の破壊自炊については、あまりにも違和感ありすぎだし、それははっきり行って金を溝に捨てる行為だと思うのですよ(本に投資したのが、ではなく、機材に投資したことが、です)。
紙の本には、電子書籍には出来ない仕掛けがある訳です。正直、どう頑張ったって泡坂妻夫の仕掛け本(『しあわせの書』と『生者と死者』)は、固定レイアウトでしか再現できないし(ってか『生者と死者』に至っては絶対に無理)。
逆に電子書籍には電子書籍にしか出来ないことがある訳で、でも残念ながらそういうものはまだ表に出てきてないですよね(別に音楽埋め込みとかそーゆーことを行っている訳では無い。そこ、誤解しないでね)。
あくまで著作に対する利益は著作者に帰属し、編集権というのは著作者と編集者の間で取り交わされる契約だと思っています(現在は、製造コスト・流通在庫コストを出版社側が負担するビジネスモデルである為、編集者の上位概念である出版社主体ですけどね)。
従って電子書籍と紙の書籍の価格差が殆ど無い現状は、ちょっと違うような気がします。
自炊行為というのは、あくまでこの「編集権」について作者の了解無く行う行為であり、そこに他者が関与するというのは好ましいことではありません。
従って、自炊代行業者のような所にお金を落とすのは、個人的には「全くもって言語道断」であり、「そんな事までして本読む必要ないんだから、そもそも本を買う資格すら無いんじゃ無いの?」と思うのです。とっとと電子版で買えばいいし、電子版を出さない作家に対して不買運動すればいいだけでしょ、と。
ですから、あくまで今回の作成プロセスの公開については、「ちょっと時間かかるけど、自分たちで出来るじゃん。自分の責任で楽しみたいなら自分でやればいいじゃん」という話なんだよね、という事をちょっとでも感じて貰えたと思った訳です。
最近、なんか小説に物足りなさを感じるんですよね。
ラノベ・キャラノベのようなのが売れているというのが、この事態を象徴してますけど、なんか世代間断絶みたいなものを感じますよ。
もっと実のある読書ガイドとか作っていかないといけないと思うんですね。「ああ、これ、読んでみたい」と思わせるようなブックガイドが必要だと。
その為にも、読みにくくなった古典・中堅作品を積極的に電子ドキュメント化していかないとね。
そういう作品を一手に電子化・販売窓口・原盤管理・オンデマンド出版等を手がける出版社を、推理作家協会とSF作家協会と文芸作家協会は共同で立ち上げてもいいんじゃない?
※あくまで絶版本・品切れ本の復活が目的。だから版元と喧嘩した佐藤亜紀とか森雅裕とかも関係なく拾っていく。もし権利団体ともめたままなら、その来歴と互いの言い分を掲載する形で発表するなど、いろんな事が出来るよね。
そういう出版社出来たら、提案者として俺雇ってよ。もう、しゃにむに頑張っちゃうからさ。