なんかの弾みで見たので、元記事がどこにあるかも判らないままなのですが。
この元発言をされている方は「無名の、どこのだれか判らないの人間がテキスト起こしした事で、送り仮名やルビが崩れるのが許せん。このようなものはしかるべき人の手によって正しく書き起こされたものであるべきだ」と言いたかったようなんですが。
なんか、言いたいことも整理できてないまま揚げ足取りで終わってますって感じ。
ついでに言い方も稚拙ですわ。
そもそも送り仮名は作者振らないしねえ、殆どの場合(確かゲラ以降の話になるので、編集と校訂の仕事に著者が同意したって話だ)。さらに著者原稿がそのまま通らなかった場合(編集による手直し指示を示す)、元原稿と改訂原稿とどちらが正しいか、なんて判るはずも無いわけですよ。
それを厳密にやるのは研究者の仕事ですよ。ええ、そこまでは判らなくもない。
じゃあ、世の中に出ているすべての書籍が、そのような厳密な監修の元で正しく出ているか、というとそんなことは無いわけで。
逆に平井和正が『狼男だよ』で元版会社と大げんかして干され、その後も角川書店や徳間書店と一時期良好な関係を持ちながら改竄騒ぎと称して大げんかして袂を分かったりするのはどうなんでしょう。
いや、もっと言うと堀晃『太陽風交点』文庫化問題においては、著者改訂版と元版写植版のどっちも編集のチェック通ったものなので、元発言の言う「しかるべき人」って誰になるのさ、という問題だって浮かび上がる訳で。
いやいや、角川文庫の横溝正史作品の章立ての変更問題なんてもっとひどいことだよね。
だからこの人は発言を間違えているのですよ。
くほださんなら、こういいます。
青空文庫は「ゾッキ本」だから、まともに研究に使いたい、あるいは本来の著者の意向に沿ったものとしては、青空文庫以外のしかるべきテキストを用いるべきだ。
現行の「著作権失効した作品に対する電子書籍」の選択肢が青空文庫一択というのは、如何な物か。しかるべきテキストに対して、今後の研究・改版の為の基金の積み立ての意味を込めて、有料のテキストが提供されてもしかるべきではないだろうか。
確かに著作権失効した以上、金銭的な原価は下がってしかるべきですけど、ある程度研究したり徹底した校訂・異同調査をしたりするなら、そこは対価が発生してもいいと思うんですよ。
著作権がなくなった事と、編集・確認することの手間は別だからね。
だから、青空文庫が駄目とか、青空文庫はいかんとか言う話では無くて、あくまで「ゾッキ本」、小栗虫太郎における高志書房版、古典探偵小説における桃源社大ロマンの復活版、手軽に入手できるものであっても、その程度の物、という事だと思います。
例えば岩波書店が『夏目漱石全集』を今年改版した歳に電子書籍化したとして、それを青空文庫があるので同額の0円で売る、というのは間違いだと思う、と考えるわけです。だって、こういう校訂・異同確認って、凄い時間も精神力も消耗するから、その為の対価を編者が得てもいいんじゃないですか?
また、この場合の取り決めとして、最新版が出てから5年(だいたい品切れ判定されてから2年)は、その版をベースにしてのテキスト化はしない、などの取り決めが必要だと思うのです(しかも、出切れは品切れになったことが前提で)。
青空文庫を否定してはいませんよ。ただ、出版社「青空文庫」と、他の出版社による差別化があってもいいじゃないか、その為の価格差が存在してもいいじゃないか、という事です。