いきなり妙なタイトルでごめんなさい。
同人誌《幻影城 終刊号》を読んだ時の正直な感想です。
これが欲しくてジュンク堂まで行った訳ですが、前作『幻影城の時代 完全版』から思っていた事が結果、タイトルなんですね。
幻影城の時代 完全版 (講談社BOX) ASIN/ISBN:
講談社(単行本/668頁) |
結局、この終刊号というのは、「ファンのノスタルジー」の産物でしかなくて。
いや確かに雑誌が終わってから30年以上経過している中で『幻影城の時代』という「同窓会」をやりましょう、という所までは判らなくもない。
あくまで同窓会だから、ノスタルジーはありだ。だが、そこで終わりになるべきもので。
それを世に出すに当たっては「その雑誌の成立過程や舞台裏などの資料性のあるもの」として提供することが大事なので。そういう意味では前作が商業主義出版されるにあたってプロである本多正一氏の手で再編集されたのは正解だったと思う。
でもね。いっちゃ悪いが《終刊号》はアマチュアがアマチュアでプロの仕事パクッただけなんですわ(レイアウトが似ているだけ)。
そもそも同人誌、特にサブカル同人誌(漫画同人誌も含む)は編集人の自己満足で構成されるものなので、仕方が無い面はあるけれど、明らかに自慰行為な訳ですよ。
自慰行為なら、自慰行為らしくコミケで手売りすればいい。余ったらとらのあなで通販すればいい。
何が嫌って。前作を通じて「思い出の・憧れの・青春の憧憬の」というものばっかり。唯一今回、「負の影響」についてと「この出版についてを最後にチクっと嫌味こいた」2つの原稿があった。
推理小説系の誤解で《新青年》が凄いという扱いをされている(実際世間に与えた影響はそんなに大きくない。どっちかというと大手の《キング》に比べて発行部数で1/10以下だし、増大号以外でミステリなんて1~3作しか載ってないという事実がある。でもそこはみんな無視する)のと同じで、実は《幻影城》は過大評価されていると思うのである。
なので、「島崎さんLove!」ではない批判的な視点で振り返る『幻影城時代を考察する』ような作品が出てきて初めて、真の終刊なんじゃないかなあ。