法政大学、青木監督辞任の話(3)

と(2)より続く

ただ、OB側の主張もどうかと思うのだが……

まず法政がここまで強豪になったのは、「部内の活動は学生の自主性を尊重する」というルールに則っている。しかし外国人指導者の導入はそれに反する流れ(指導する側は指導される側の都合では動かないのが彼らのガバナンスである)だし、学生自治の放棄に連なることだ。そして外国人指導者は金がかかる。 
上っ面の導入は、正直言って法政の良いところを消してしまいはしないか。

もしやるなら、OB会が外国人コーチを「クリニック」形式で数日間招聘する事の方が現実的で、それは大学に依存しなくても出来るのだ。

ぶっちゃけ、学生自主の中にOBは含まれない。OBは監査支援に徹しなくてはならない。現状ではOB会の一部が暴走して都合の良い幼稚な言動をしているだけに過ぎない、と思う。

そもそも「監督」の位置づけは何か。「指導者」の位置づけは何か。「部長」の位置づけは何か。そこが何らはっきりしていない。

日本に於いては監督の下にヘッドコーチを置くのが一般的だが、本来は現場監督がヘッドコーチで、運営監督がGMなのである。日本はそのどちらも監督に押しつけすぎている。
そういう意味で「部長」はお飾りだし、運営監査はお飾りの部長が盲判で済ませてしまう事になる。
そしてOBとか父母会はご都合主義の権化となり、監査実態を持たない「金も出すし口も出すが整合性の取れない思想性の欠如した」口ばさみしか出来ない圧力団体として混乱を導くだけなのである。

過去にもネット上で「四年生が全員退部を突きつけて監督を交代させた」と言うチームの情報が流れた。でも、そのチームは結局監督交代しても今の地位から浮き上がることは出来ていない(し、その世代以降暫くは社会人で活躍していない)。
要するに思想的・論理的にしっかりしたコミュニケーションが取れていない中での学生主導(の形を取った一部OBによる)のクーデターは、嫌悪対象の排除だけが出来るのであって、事態を好転させるきっかけにはならないのである。
※故に、篠竹さんは過去3回のトラブルの際に学生におもねること無く退部をさせた。学生に迎合することが思想の崩壊による姿勢の崩壊を認めることになると判っていたからだ。それが正しいかどうかは別問題だか。

そして、こういう話になるとどうしても思い出すのはヤン・タイロンの言葉だ。
ヤン・タイロンとは小説『銀河英雄伝説』の登場人物、ヤン・ウェンリーの父親で、第一巻の回想場面に登場する。
幼いヤン・ウェンリーが「独裁者ルドルフ・ゴールデンバウムが生まれた理由」を大人に聞いて廻った際、きちんと説明出来たのがヤン・タイロンで
「みんな楽をしたかったから」
という至言を述べている。
つまり、誰かに決定をゆだねしまえば自分はその決定に対する事で悩まない。対応も誰かに任せればいい。それが積み重なると強大な権力になり、その暴走した時の危険性を理解したときには手遅れになっている、というもの。それが大衆心理だと。

これは、OB全てにかかわっている問題ではないだろうか。
仕事が忙しいというのもあるし、年齢が行けば家庭を無視して競技に時間を割くことも出来なくなる。結果として「今のままでいいや」と監督の長期政権を認めてしまう。
そこに「自分が楽をしたい」という物差しが存在しない、と言い切れるだろうか?

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